月別アーカイブ: 2015年1月

映画日和

久々に映画を観ました。

「サイコパス劇場版」「あと1センチの恋」という全くもって正反対の二本。

なんとなく気分転換もしたく、卒論も提出したことだし、ご褒美を与えなければって感じで。

もう上映後しばらく経つ二本かつ、DVDでもいいかな。と思っていたんですが、少し気になるということもあり、また、最近はネットのレビューを見た上で自分ならどう思うか。(たとえそれが低くとも)という見方をするようになったこともあり。
世間一般の評価と自分がいかにずれているのか、もしくは同質なのか。

最近、職場も含め渋谷に行きすぎなので、あえて池袋にしたんですが、池袋の劇場って狭いところ多いですね。今回の二つはあまりよろしくなかった。覚えておこう。

まずは「サイコパス」

ん?サイコパス?ってなる方も多いですよね。自分もきちんと見たの最近ですし。
最近流行っている(おそらく)アニメです。

ストーリーは、、、、っていう説明がなかなか難しいので、ググっちゃってください。

最近、abejaという企業が面白いことしてたので、知ってる方も多いはず。
画像解析テクノロジー集団のABEJA、「PSYCHO-PASS サイコパス」のシビュラシステムを再現したデジタルサイネージのシステムを開発

全体的に、よく作られてるなーと思いました。
総監督は”踊る”シリーズなどでおなじみの本広さん。
彼曰く、「今回の劇場版に関し、僕から塩谷監督に具体的にお願いしたのは一点だけ。冒頭に『爆発』を入れて欲しいということでした。」だそうです。

アニメの可能性を改めて感じました。というか知りました。
今まであまり詳しくなかったんですが、実写なら果たしていくらかかるんだろう、、、、という映像をアニメで楽しむことができる。
その根源的かつ本質的な部分の価値が浮かび上がったような作品だと思います。サイコパスって。

音声もテレビアニメでは到底出せないくらいに重低音が響き、映像もきれい。
この作品においては水色と赤の光が近未来を彷彿とさせるのにすごく重要な部分なのだろうな。と勝手に思っているんですが、いかがですかお詳しい方(舞台設定は確か100年後)

内容的なところで、今回は霜月さん優等生でしたね。割と。
またシャワーシーンはなにかノルマ的なものがあるんでしょうか。
アニメ版1期、2期、そして劇場版で全て登場したと思いますが。

宜野座さんは髪が伸びたせいかポニーテールになって、ワイルドな雰囲気をまとってましたが、前髪の長さはなぜ変わらないんだろう、とか細かいことはさておき。

今回の感じだと、まだまだ続編はありえそうですね。
シビュラの輸出の進行フェーズによって、段階的に。

自分は卒論終了後(1/20)に、たまたま友人に勧められてアニメ版を観たんですが、社会風刺系、近未来SFあたりが好きな方は絶対好きなはずです。
哲学要素もあり、勉強になるくらいの入れ方のバランスがいい。

ちなみに、パンフレットは1,200円と少々お高め。
(そして主題歌はふわっふわ。)

次に「あと1センチの恋」

このブログを始める前は、Instagramで観た映画の感想をハッシュタグをつけて投稿していたんですが、その度にlikeをくれる映画ソムリエ的な方がいらっしゃって、その方が絶賛していた作品。

ストーリーは、ロージー(リリー・コリンズ)とアレックス(サム・クラフリン)は6歳のころからの友達同士。自分たちの住むイギリスの田舎町を出て、アメリカのボストンの大学へ進学しようと約束し、二人とも合格。ところがロージーは、クラスの人気者クレッグと軽い気持ちで関係を持ち、身ごもってしまう。アレックスはボストンへ移り、ロージーは一人で子育てに奮闘するが……。というもの。

自分には展開が多すぎて、逆に薄く感じてしまいましたね。
「アバウト・タイム」と比べてしまった自分のせいかもしれませんが。

テンポはいいと思いました。
コンドームが中に入ってしまったから取り出すっていうシーンで、その担当医の名前がDickだったりとか、その会話をエレベーター内で聞かれるシーンとか、笑えるポイントもまぁまぁある。

でも、全体的に薄い。
これでもか!ってくらいすれ違う二人を映していたのに、最後の最後で結ばれるシーンで早足になったからかな。
それとも、子供の父親が再び現れたシーンあたりの展開が早すぎたのかな。

映画プロデューサーの川村元気さんが書いた「世界から猫が消えたなら」という本。
確か本屋大賞を取った作品ですが、amazonのレビューなどで結構荒れているのは、おそらく小説という作品で見ると薄っぺらく、読み応えもないから。
なんですが、おそらく映画化すれば、その言葉足らずの情景描写が補完され、もともと良いセリフなどの素材が活きてくるのではないか。

と思っていたことに近しい要因があると思います。この作品には。
まぁ状況はだいぶ違うんですが。

でもヒロインは可愛い。白雪姫のパロディ的なのをジュリア・ロバーツと共演してやっていた子だけど、その時より7倍くらいは可愛い。
ヒロインの可愛さだけでも見る価値があるんじゃないか。ってくらい可愛い。(言い過ぎた)

12年間という期間が長すぎて違和感だったんだろうか。
でも、アン・ハサウェイ主演の「ワン・デイ」も同じくらい長期間思い合っていたはずだけれど、あれは素敵な作品だった。まぁハッピーエンドではないけれど。

しかし、右隣は号泣する女子高生四人。彼女たちにはあのくらいライトで数々の試練が降ってくる系の展開がヒットするんですかね。とても勉強になりました。
また、女子高生って涙を流すとどうして顔を仰ぐんですかね。
熱い熱い言いますよね、彼女たち。現役の時から気になってたんですが。
化粧が落ちるから?

ただ、ストーリー的にはあるあるの話。
お互いに思い合っているのになかなか伝えらえない。
お互いに結婚して幸せだけど、その幸せはベストではなくベターどまり。
もしあいつと結ばれれば、、といったような、心の穴が塞がることはない。

ここへの共感ですかね。女子高生の涙は。
おませさんなのでしょうか。漫画からの追体験でしょうか。
まぁ若さを見くびるのはよろしくないですね。反省。

そして、左隣にはおばさまが一人。
おばさまは右隣の女子高生’sのポップコーンを果敢に頬張る音が気になって仕方がないご様子。度々右側(つまり自分側)にガンまではいかない何かを飛ばしてくる。

自分が挟まれていてよかったですね。居心地は良くなかったです。はい。

ナオコーラと「her」

山崎ナオコーラさんが恋愛に対して、素敵なことを書いています。

…長く会わないでいた同世代の友人と会うとき、「パートナーシップ」についての話題がよく出る。「最近どう?彼氏は、いる?」「結婚の予定はないの?」等々。
私も聞くし、相手からも聞かれる。
結婚トークは面白いし、自分にその予定がなくても、盛り上がれる。
でも、たまに違和感を覚える。
久々に会う女友だちが、自分の彼氏の話をする。「彼は私にこういうことをしてくれる」「でも、こういうことをして欲しいのにしてくれないのー」「別れた方がいいのかな?」等々。
学生時代は「彼のこんなところが好き!」「先のことはわかんないけど、夢中なの!」と言い合っていたのに、結婚を意識する年代になると、恋愛観が変わるのか?
瞬間における人との心の触れ合いを重ねていくことを恋愛だと思ってきたはずなのに、いつの間にか自分の人生にメリットのある関係を築いていくことが恋愛であるかのように会話をしてしまっている。
私はやっぱり、立ち戻って、恋愛を捉えたい。
恋愛においては、「相手が自分に何をしてくれるか」「大事にしてもらえるか」ということよりも、「自分がどうするのか」「自分は相手を大好きだ!」と考えることの方が重要だと、私はこれからも、考えたい。
だから、大好きな人に出会ったときに「出会えただけで十分だ」と私が思う可能性がある。結婚しない人生も私にはあるだろう。
ただ私は、自分の結婚式で蝶ネクタイを締め自分で司会を務めたい、という野望を持っているので、それができなかったら、少し残念だ。

相手が何がしてくるかではなく、自分がどう思うか、相手をどんなに好きか。

まさしくごもっともだと思いました。自分の想いがいくら強かろうと、相手にそれを押し付けていいわけでもなく。

この言葉は、映画「her」にも通ずるものがあります。

この作品、ご存知ですかね。
「ザ・マスター」で難しい役どころを演じきったホアキン・フェニックスが、彩り豊かな色調の中でいい演技をしていたあの作品です。


スカーレット・ヨハンソンの声の良さの方がfeatureされていて笑いましたが。
(個人的にはエイミー・アダムスの地味目な役どころのマッチ具合もすごかったと思う)

アバウト・タイムが日本で上映する前に、ちょっと話題になっていました。
(どちらも渋谷のシネマライズはしっかり上映していたな。やっぱあそこはすごい。センスがいい)

ストーリーは以下を参照。

近未来のロサンゼルスで、セオドア(ホアキン・フェニックス)は相手に代わって思いのたけを手紙にしたためる代筆ライターをしていた。長きにわたり共に生活してきた妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と別れ、悲嘆に暮れていた彼はある日、人工知能型OSサマンサ(スカーレット・ヨハンソン)と出会う。次第にセオドアは声だけで実態のない彼女の魅力のとりこになり……。

OSと人間の恋。今でいうiPhoneのSiriとの恋。
実態のないものとの近未来的な恋といった点で、とても注目されていました。
(その分、埋めることができない肉体的・身体的な部分を映し出す描写が多めでしたね。)

この映画にも、上記の文章を物語るシーンがあります。それも結構重要なシーン。

主人公のセオドアは、OSのサマンサに恋をするんですが、サマンサが内臓された機器はセオドアのみが持っているわけではなく、アーリーアダプターを中心に広く普及し始めているんですね。

セオドアはそのことに気づいていなかったんです。
自分とサマンサという一対一の純粋な関係に恋をしていた。

外に出て、街を見渡すと、みんなが同じ機器を持ち、みんながサマンサと話している。

主人公がその状況に気がついて狼狽するシーンがあります。

セオドアは自分の一途な想いに対するサマンサの状況に憤慨するわけです。
ユーザーであればみんなにいい顔をするのか。と。

ただ、サマンサとしてはどうすることもできない。そういったプログラムなので。

最終的には、、、、、、、(まぁここは観ていただこうと思います)
(暖色の使い方と、ロサンゼルスのやわらかいネオンが素敵なので、注目してみてください。)

この作品も、恋愛は相手がしてくれたことに焦点をあてすぎるとうまくいかず、恋愛は始まった時と同じ速度で走り続けられないということを示していたんですよね。

求めあうフェーズは勿論あれど、それは長く続かない。
(いや、続く関係もあるのかもしれないですね。経験したことないだけで)

じゃあ、どうすればいいの?となると、相手から何をしてもらうかではなく、自分が何をしてあげたいかにフォーカスする。

ずっとそう思える相手と恋愛ができれば、これほど幸せなことはないでしょうね。

そんなことを書いていたら、「ニキの屈辱」を思い出しました。

はじめも、おわりも、ナオコーラ。

やっぱり、アバウト・タイムがよかったと思う。


(ちょっとミーハーだけど。)

だいぶ話題になってたし、ツイッターやらインスタで絶賛している人もちらほらみかけた(自分もした)ので、もう既に観ている人も多いはず。(ちなみに自分は3回観た)

ちなみにストーリーは、下記。

自分に自信がなく恋人のいないティム(ドーナル・グリーソン)は21歳の誕生日に、父親(ビル・ナイ)から一家の男たちにはタイムトラベル能力があることを告げられる。恋人を得るため張り切ってタイムトラベルを繰り返すティムは、やがて魅力的な女性メアリー(レイチェル・マクアダムス)と恋をする。しかしタイムトラベルによって生じたアクシデントにより、そもそもメアリーと出会っていなかったということになってしまい……。

「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」というタイトルの、”愛おしさ”って果たしてどういうことなんだろうと、感覚的にわかっていることについてしっかり書いてみたいな。と思っていたんですが、
考えれば考えるほど、わからない。ので、

この作品のどこがよかったんだろう。というお話にします。
で、いくらか考えたんですが、、、

・どんな能力を使っても変えられないものは変えられないという教訓
・”今、生きている” そのことが大事。という素晴らしい終わり方
・もしかしたら自分もタンスに入ればできてしまうのでは、、と思わせるリアル感
・子供をお見送りするシーンなどの光の差し込み加減のあたたかさ
・ただただキャストがいい
・クスッと笑えるユーモアセンス
・わざとらしさが全く見えないその演出
・色・風景・インテリア・服装のヨーロピアンテイストがおしゃれ
・「私たちの人生も同じよ いろんな天気があるわ」「パパのいない人生に興味はないの」という素晴らしいセリフの数々…

といった素晴らしいセリフの数々….

なんて、出そうと思えばいくらでも出ると思うんですが、結果、決め手ってないんだろうな。って思うんですよね。
すべて組み合わさっていたというか。

どんなジャンルだとか、いつ作られたとか、どの国で作られたかとか、誰が出ていて誰が監督しているとか、そんなことをツタヤ(登場人物)は超越していた。究極的には「いいものは、いいものだ」。そのことに時代や国籍は関係ないのだ

と、「モテキ」「告白」「悪人」などを手がけた映画プロデューサーの川村元気さんは著書で言っていますが、まさしく、そんな感じだなーと。

また、この作品はおそらく5年後見ても、10年後見ても、同じく感動を覚えるんじゃないかと思います。
それは、時間、家族という永遠のテーマを扱っているという点が大きいし、このくらい映像が綺麗になったことに加え、作中でなにかしらのIT技術を使っているわけではないために、おそらくこれを観て「うわ、古いなー」とは思わない。違和感なしに観れるのではないかと。

定期的に観たい。そして、
できれば大事な人と。家族ができてもこういう作品を観ていきたい。
そう思える作品でした。

個人的には、主人公ティムを演じたドーナル・グリーソン(ハリポタでロンのお兄ちゃんでした)の優しさ溢れるあの風貌、ヒロインを演じたレイチェル・マクアダムスの可愛いと感じない人はいないと断言できるほどのあの可愛さ、お父さん役のビル・ナイのコミカルな演技と温かさ、このお三方がとにかくよかったですね。

ちなみに、アバウト・タイム(about time)というタイトルには、リチャード・カーティス監督の引退の意味も含まれているというおしゃれさ。(about time = 今がそのとき)

やりますね。監督。