いつの間にか今年も残すところあと2ヶ月。今日はハロウィンということで、渋谷がすごいことになっておった…(道玄坂から山手線に乗るまで30分くらいかかった気がする)
皆さん楽しそうでした。しかしながら、自分はとてもじゃないけど参加できないなと思ってしまいましたね。(ちょっと歩けな過ぎたのと、なんだか臭かった)
ハロウィンと聞くと絶対に否定しにかかるおじさまって一定数いますよね。(実際勤め先にもいました)
そして、その気持ちもかなり分かります。(自分も参加したいとはこれっぽちも思わないので)
(おそらく自分は、おじさまを例に出して自分が一番否定している気持ちを偽ってるんだろうな)(ってことは一旦置いておきます笑)
ただ、そういうの聞くたびに、なんだかしゅんとするんですよね。しゅん。と。批判ばかりしてんなよと。
だって、楽しむ権利は皆が平等に持つべきであって、俺には性に合わないからハロウィンなんて嫌いだ!って蹴り捨てるのって、なかなかに視野が狭いんじゃないかなと。
(ごみ問題は分かります)(とはいえ、自分もハロウィンは楽しまないんですけど。笑)
加えて、渋谷のあれだけ大人数が集まった中で仮装して練り歩く行為=めちゃくちゃハードル高いんじゃないかな?と思うんです。
(恥ずかしいかつ、一定レベル仲の良い友人がいないと厳しいじゃないかなと)(一人で参加してたら猛者すぎる。笑)
その点、あの場に参加する若者たち、まじで度胸あるな…とちょっと尊敬してたりもするんすよね。(経済を回してくれてありがとう(遠い目))
帰り道、そんなことを考えていたら、ふとある日の会話を思い出しました。
自分はだいぶ映画が好きでして、趣味を聞かれる度に常々公言していたりするんですが、その時はある作品を巡って友人と感想を言い合ってたんですね。
その作品は普段SFしか撮らない監督の初めての実話映画で、戦争もの。
セリフがなかなかに少なく、なんとCGを一切使用しない!(ここで分かる人も多いかもしれない)、短い上映時間でより緊迫感とリアリティを表している点、自分的には、鑑賞し体験できたこと自体にすごく価値を感じていたんですね。
ただ、その友人的には訳が分からなかったと。(1,800円なんてかけなきゃよかったと言っていました)
彼の判断軸は、直観的によい!!と思えるかどうかだったんですね。
で、実際その映画はよいと思えなかったそう。なのに、レビューではつべこべ理論武装して高評価っぽいことを言っていると。
そんな言い訳する必要があるなら、所詮はつまらなかったんじゃないのか、と。
ぶっちゃけ、その主張も間違ってないなと思います。確かに直観的に心が躍ってしまう作品、大好きです。
でも、作品の楽しみ方、需要の仕方は人それぞれだから、一方をばっさりと否定するのもなんだかなーと、ものすごくもやもやしたんですよね。楽しみ方って自由じゃない?と。
(余談ですが、映画の楽しさの一つは正解がないところだと思っています。観る人によってこれまで評価が変わるコンテンツはそんなにないなと。)
そんなことを考えていたら、ああ自分は主張が苦手なんだな。ということに気づきました。改めまして。
対抗意見があって然るべきなので、上記のような意見があること自体に違和感はないんですが、いざ自分がどちらかを主張するとなると…というか、どちらかの立場に立つことを結構避けてきたんだなと。
いや、避けてきたというか、むしろ根本的に苦手なんだなって認識しました。(代表、リーダーなど一定の主張が求められる立場は歴任してきたので)
(両方の意見がよくわかるし、どちらとも話せる)(その点、誰とでも人当たりよく話せる(ってずっと言われてきた)のは強みなんですが)
とはいえ、何かしらの表現(0→1での価値の創出)に携わりたいと思っている身としては、結構致命的なポイントだったりするだろうなと。
例えば、貞子の生みの親である鈴木光司さんはこう言っています。
花は美しいというと「美しくない花もある」という人が出てくる。そのクレームを想定し「美しい花もあるが美しくない花もある」と書く。それはもはや言う必要のない文となる。全ての人が納得する文では表現にならない。勇気が必要なんだ
そして、これは上記小説分野のみならず、もっと広範なビジネスにも当てはまります。例えば下記とか。
「この作品大好き!買っちゃう!」って人が1万人いて、「なんだこれ。買わね」って人が1万人いたら、当然ですが本は1万冊売れるんですよ。決してプラマイで0冊になったりしない。好きだって言ってくれる人の数は重要ですが、好みもあるんだから、嫌いだって人のこと考えてても仕方ないですよ。
— Twitterより
ちょっと前にアドラーの「嫌われる勇気」が流行りましたが、上記のようなことが書いてあった(ような気がする)(さっと鹿読んでないのがバレますね)。
何を当たり前なことを…と思ったりしたものの、思い返せば自分にも当てはまる真理だったんだろうな。
という、自己認識をしましたというお話でした(例のごとくオチはありません)。
以上、もっと図々しく、ワガママに生きていきたい目黒区・25歳・独身。でした。(なにこれ)
そんなこんなで、だいぶ脱線しましたが、今日は人目を気にせずはっちゃけてください。渋谷の皆さま。(ごみは片しましょうね)(幸せな一日を)
将来、絶対に我が子には仮装させちゃいますけどね。(だって絶対可愛いし)(親バカかな?)
はっぴーはろうぃん。