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「戦略質問」を読んだ

かなり良書。特に自分のようにコンサル未経験でコンサルムーブをしなければならない方など。

下記、特に覚えておきたいなと思う部分をメモ程度に残しておきます。

 昨今、個人的にすごく懸念していることが、戦略立案作業の過度な「工業化」である。この場合の工業化とは、戦略の立案に必要な作業が細かく分けられており、決められた手順通りやっていくと、戦略が立案できているようにするというものである。いわゆる方法論化である。


書籍やらネットやらで方法論が自由に述べられ、戦略の作り方がどんどんコモディティ化しているけれど、こうした手順は「何かを構築する」場合には適しているものの、「何かを発想する」には活かせない。

結果として、競争に勝つための発想よりも、社内の意見のとりまとめに近しいことになっていく。

また、サクッとネットで調べれば他社の動向が概ね把握できる分、戦略がどんどんと似通っていく中でどう差別化するか?がキモなのだけど、なんとなくとりまとめて、なんとなくやった感に陥らないよう・楽しないように留意したい。

 欧米では、戦略の実行方法を議論するようなときに、「WIIFM(ウィーフム)」という言葉がよくつかわれる。これはWhat’s in it for me? という分のそれぞれの単語の頭文字をとったものである。日本語でいえば「いったい自分にとって、それがなんの恩恵をもたらすの?」という感じである。
 戦略を現場に浸透させる場合に、個人個人の「WIIFM」を説明できることが重要だ。そのために、戦略そのものにそれを組み込んでおかなければならない。


これは知らない言葉だったので、メモ。

 「ゲームプラン」という言葉がある。ラグビーの試合で、監督が選手をグラウンドに送り出す際、「勝敗の責任は監督である私にある(選手の君たちに勝敗の責任はない)。君たちの責任は、ゲームプランをそのとおりに遂行することにある」ということがある。これからプレーする選手たちが、「君たちに勝敗の責任はない」といわれるのは、読者の皆さまは「どうして?」と戸惑われるかもしれない。これはこういうことである。
 ゲームプランは、相手にこうやって勝つという道筋をまとめたものだ。各プレイヤーが、ゲームプラン遂行のための自分の役割をきちんと果たしてくれさえすれば、論理的には100%勝てるというものである。
 だから「机上」では100%勝てるプランをつくる。それを選手たちに理解させ、実際の試合でもそのとおりできるようにするために練習をする。試合前に監督が選手を送り出すときにいう言葉は「ゲームプラン通りやってくれればいい。(もしゲームプラン通りやって)負ければそれは自分(監督)の責任」というものである。
 つまり、戦略の責任は監督、戦略通りやったかの責任は選手、という考え方になる。その試合に負けたとすれば、敗因は、ゲームプランが間違っていたのか、それともゲームプラン通りにできなかったからなのかを考える。
 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というように、ゲームプランという基準(仮説)があったからこそ、負けた場合の理由がわかり、それが知見としてチームのものになる。このあたり、スポーツとビジネス、共通点は多いと思う。
 戦略(ゲームプラン)が机上で100%勝てないとすれば、それを実行すれば、勝利は偶然頼みになってしまう。


戦略を揶揄するのには、机上の空論という言葉が用いられるけど、机上で100%近く勝てるという状態を土台にしたのち、それを正しく実行する。実行の最中に起こりうる予想外のことに対応しながら進めるというのが正しいプロセスなんだよな、と改めて自戒を込めて。

「戦略なんて作らなければよかった」「どうせ100%実行できなかったのだから、戦略なんて中途半端でもいい」とは決してならない。

 余談だが、かつて、筆者はIBMとは競合となっていたPxCコンサルティングに属していた。ところが、突如、そのIBMから買収を受けた。その際、両者でのビジョン策定のミーティングを目の当たりにした。そのとき日本のPwCコンサルティングの代表だった倉重英樹氏は、当時のグローバルサービス部門のトップ(のちのIBMの社長)に、「ビジョンではなく、我々にとってのこの統合の野心(アンビション)をまず語ろう」と提案した。ビジョンというとどこかおとなしい感じがする。野心となると、何かを成し遂げてみせようとの思いがそこに入る。米国人のそのトップはそれを快諾し、議論が進められた。
 その議論をもとにアンビションが整理された。おそらくあのとき、ビジョンからいきなり議論を始めたら、もともと相互に敵対意識をもっている組織同士、それも両社まったくカルチャーが違うので、結論のつかない空中戦になっただろう。
 「我々の野心はなんだろうか」と尋ねられたために、「IBM対PwC」が「『IBM+PwC』対『競合』」という図式になったのかなと思われる。さらには「IBM+PwC陣営と社会」という形で議論すれば、それがビジョンにつながったであろう。
 ついでに、この「あるべき姿」で私の好きな話がある。内田洋行にチェンジワーキングというワークスタイル改革のサービスがある。そのサービスを開発したリーダーの平山信彦氏とその一門は、あるべき姿ではなく「ありたき姿」という言葉をあえて使っている。「あるべき姿」と「ありたき姿」は違うか。あるべき姿というとどこか冷静な自問自答に聞こえる。一方、ありたき姿というと、「そうなりたい」という意志やパッションが感じられる。言霊というが、言葉の選び方というのは大事だと思う。


会社のことだけではなく、その人個人の人生をあえて尋ねてみるつもりで、経営トップの個人的な野心を聞くのも重要とのこと。確かに、同じことをしているパイセンが昔いたなと思いだしました。

会社の代表としての「公の自分」から降りて、どこに楽しみがあるのか聞いてみることは、あるべき姿を考える際のヒントになったりするだろうな。

ウォールーム(短期集中型の戦略立案MTG)を実施する際の4つのアングル

  • ズームアウト(Zoom Out):いつも考えているよりもずっと長いスパンで物事を考え直す
  • チェンジアングル(Change Angle):その会社でのタブーを、あえて打破して考えてみる。典型的なのは、ビジョンや経営理念の見直しであり、従来から当たり前とされてきたことについて、今の時代感を考慮してその継続可否や過不足の検討を行うことが多い
  • ディープダイブ(Deep Dive):グローバリゼーション、DX等々、重要性が極めて高いが、緊急性が低いために「いつかぜったいにやらねばならないと思ったまま放置されていること(本当に考えると膨大な工数や調整が必要)」について、グランドデザイン(概要)を短時間でさっさと描き切ってしまおうというもの。全く未知の領域(答えがないために、合議では解決しない問題)への対応もこれにあたる
  • インサイドアウト(Inside Out):経営者の頭もしくは心の中にある暗黙の野心やアイディアを引き出し、その言語化を図るものである。経営者の参加の部門リーダーが何をやりたいのかを整理するときなどにも活用される

  • どこかで使ってみたいと思って、とりあえずメモ。

     話は横道にそれるが、本書を書くきっかけは、私のかつてのボスであり恩師の影響であることは先に述べた。
     その人のところに何かの報告に行くと、いつもすんなりとは終わらない。いや始まらない。たとえば、筆者が「●●の件、報告に伺いました。ええとですね」と始めようとすると、まず「待て」といわれる。そして次に出るのが「その、これからしたいという報告だけど、何をもって報告が成功したと考えたかね」と質問される。最初はまったく意味不明だった。「だって報告に来ただけなんだから、『何をもって成功したか』と禅問答みたいなことをいわれても困るなあ」と思っていると、さらに「君にとって、よい報告と悪い報告って区別はある?」と聞かれる。勢いで「はい」と答えると、「じゃあ、それを考えてから報告してよ」となった。
     もちろん緊急案件であるなら、そんな禅問答じみたことにはならないが、本件は特に緊急案件ではなかった。まあ、今から考えると、深く考えない私への教育指導だったんだなあと思う。
     よく考えた末にカムバックした。「報告内容は3件あって、そのうち2件は、今度、社長が●●社に行くときに、この情報を知っていればその商談で有利に進められるというものです。そして1件は、僭越ながら社長が勘違いをされているのではないかということがあり、私の見解をぶつけてご意見を聞こうと思いました」というようなことを答えた。すると社長から「ふたつは私にこう動いてほしいということだね。それを私が勘違いをしているかもしれなくて、それにしたがっていると自分の仕事が困るということか。なるほど」とまとめが入った。私も「なるほどなあ、だから報告に行く必要があったわけだ」と本末転倒的なことを思った。
     それ以来、私は「何をもって病」にかかってしまった。だから、顧客の戦略立案をお手伝いするときも、「何をもって市場の分析が終わったといえるのか」「何をもって次回のステコミが大成功に終わったといえるのか」と考えるようになった。


    「何をもって成功か」を定義せずにMTGが進み、各々「とるべきアクション」をランダムに言い合うことは往々にして起こりえるなと。めちゃんこ刺さった。

    一見、馬鹿げたアイディアだと感じるものでない限り、それはアイディアではない – アインシュタイン


    知らない言葉だった。すばらしい。

     コンサルタント時代のスタッフたちと話をすると、「最近は戦略策定の仕事ばかりですよ。『チューケイ』ばかりつくってます」という話をよく聞く。チューケイとは中計。いわずもがな「中期経営計画」である。それなりの大企業を顧客にした、いわゆる経営計画策定のファシリテーション的な仕事なのかなと想像がつく。
     ただその話にはちょっとだけ違和感が残る。それは、彼らが「中計をまとめると、それがすなわち戦略をつくったことだと思っていないか」ということである。
     経営戦略と経営計画は、いろいろな局面で混同されがちである。たしかに、資料になった場合には、両方が別々というのはあまりなくて、経営戦略に重きを置き、その中に計画が入っていたり、経営計画に重きを置き、その背景として戦略を語っていた李と形態はいろいろある。
     戦略は、選択と集中を着眼点に、その企業の「勝ち方」あるいは「勝ち残り方」を考えるものである。一方で、計画は、戦略で決められたスキームに基づき、どの経営資源をどのような時間軸で割り当てていくのか、そして、その結果どのような時間軸で、どのような業績インパクトがもたらされるのかを整理するものといえる。つまり、論理的に戦略と計画は別物であり、資料の中での同居はあるが、検討は別というのが理想だと思う。
     そう考えると、戦略がないのに計画ができるはずない。と、いいたいところだが、そう単純にはいかない。というのは、投資家というステークホルダーが存在するためである。彼らが1にも2にも求めるものはコミットメントである。投資先の経営者はどのような業績をコミットしているのか。まずはそこである。したがって投資家の要求を満たすべく、現状とのギャップを埋めるための戦略をつくれ、ということになる。
     彼らからすれば、もちろんジャイキリは大歓迎。ただし、そこにすぐに数字がついてくればの話である。自らの資産を投資している彼らとしても、膨大な外部情報を収集し、今後の機会と脅威、さらには成長のポテンシャルを分析し、彼らなりの考えを、数字としてもっている。
     当然、経営計画策定の際には、彼らの期待値を、目標値として考慮する必要がある。極論からすれば、経営計画の概要は、経営戦略を策定する以前に決まってしまうということになる。経営計画のゴールと、現在のままでいた場合の見通しのギャップを分析し、それを解消するという目的で、経営戦略は検討される。これはこれで正しい道筋だと思う。が、なんだかやらされ感みたいなものを感じてワクワク感がない。
     投資家の期待を最初は一切考えずに、既存の経営計画策定サイクルの外で、自由に戦略を描いてみる。そんな機会でもなければ、ジャイキリは難しいのではないかと思う。


    これは現職でのコンサル経験よりも、スタートアップで投資家対応をしていた時のモヤモヤが浮き彫りに似合って、深く頷きました。

    投資家の圧がある環境は有難い反面、ちょっと投資家の顔色を窺いすぎたな…と思う経験もしたな。言い合える関係値ではなかった。

    あるとき筆者は、上司から「ポーターのFive Forces Modelを知っているか」と尋ねられた。勢いよく「はい(なんでも聞いてください)」と答えると、彼は「あのモデルのメッセージは何だと思うか?」と言う。
     すかさず筆者は、「競合との競争だけが競争ではなくて、そのほかに4つの競争があるということです」と答えた。すると、上司が俊二に私に興味をなくしたのが感じられた。
     あとでわかったことだが、彼によると、あのポーターのモデルの一番重要なところは、「今までの競争とはまったく違う競争を仕掛けてくる奴らこそが、最高に危険な連中」ということだった。つまり、今までの競争なら怖くない。顧客や調達先が知恵をつけてきての交渉も、怖いことは怖いが、まあ大丈夫。問題は「まったく違うスキルセットで挑んでくる『新規参入者』もしくは『代替品』」だ。なぜ彼らが怖いか。それは「まったく違うスキルセット」が「今までになかった発想」で挑んでくるからだ。
     「発想や感性が武器になる」。それ以来、新しいことをやるには、新しいタイプの人材が必要だということを肝に銘じた。


    当時の筆者と同様のレベルでしか認識できていなかった。もう一度読んでみようかな。

    確かに、ジャイキリを発想するの新たなタイプの人材をリクルーティングするのは手として間違いではないけれど、本当は新しい感性を持った人材がいるのに、戦略の目線を高く持って発想する場が与えられてなかったり、途中で潰されているケースも多々あるから、初手としては人材の能力が最大発揮できる場を作るためにどうするかを考えるべき。

    スキルワーカーとナレッジワーカーの違い

  • 仕事の種類:【スキルワーカー】手順が与えられ、それを実行すると成果の実現が保証される【ナレッジワーカー】期待成果が与えられ、やり方は本人に任せられる
  • 上司の役割:【スキルワーカー】マネージャー(管理者)【ナレッジワーカー】リーダー(先導者)
  • 人の動かし方:【スキルワーカー】権限(指示と命令)【ナレッジワーカー】リーダーシップ(納得と感動)
  • 求められるもの・与えられるもの:【スキルワーカー】社内価値(パワー)【ナレッジワーカー】市場価値(自由)
  • その通りだな~。トレンド的には右側にいくはずなのは薄々感じつつ、警鐘だけを鳴らすYouTube多すぎるよな~とか思いながら、メモ。

    上司の指示が不適切だから失敗しました、というのは典型的なスキルワーカーであって、手順を与えられなかったからできませんというのはダサい。

    とはいえ、多くの企業はナレッジワーカーを求めているけど、組織のつくりやマネジメントスタイルはスキルワーカーに寄っているものなんだよな。(と、現在進行形で実感)

     日本語には「改革」と「変革」なる言葉がある。英語表現にしてみると、前者は「リエンジニアリング」、後者は「トランスフォーメーション」とでも言い換えられよう。改革(リエンジニアリング)は「やり方を抜本的に変えること」、変革(トランスフォーメーション)は「やることを変える」というように区別している。
     改革についてはすぐにイメージが湧くと思う。でも、変革のほうは、どうだろうか。一言でいえといわれれば、筆者は「業態が変わること」と表現している。
     両社の大きな違いは、新しいスキルセットの必要度合いである。改革ならば今の状態でも実行できるが、変革となれば通常は業態が変わることになるわけで、まったく新しいスキルセットが必要になる。

    過去のIBMでは、当時43万人いた社員を、9万人まで減らした一方で、必要数である14万人を新たに採用したとのこと。

    一見、43万⇒23万の莫大なリストラに見えるものの、単純に人を減らしてコストカットしたわけではなく、スキルセット自体を入れ替えた。そのことで、メインフレーム主体のメーカーからサービス事業の会社となり、その後コンサルティングの会社となり、ソフトウェアの会社となり、今はクラウドであると。

    確かにこの業態の変化は、変革といえるし、言葉通りトランスフォーメーションだね。

     ある企業の顧問が中途採用者のスペックについて語った話だ。それは「2回以上転職した人」というものだった。読者の皆さまは、この意味がおわかりになるだろうか。筆者はまったく想像ができなかった。
     その意図は、「1回だけだと、前に勤めていた会社のやり方が正しいと信じて、それをここに適用させようとする。でも、前の会社のやり方が間違っていたら大変なことになる」というものだった。だから「2回転職した人だど、世の中、やり方はいろいろあるんだなと思って、この会社に来たときに、前職のふたつのやり方のうちどちらの方が適しているのか、とか、この会社にふさわしいやり方はもっと他にあるのではないかと考えるかもしれない」というものだそうだ。筆者はそれを人づてに聞いたのだが、なんと実践的かつ現実的なアイディアなのかとびっくりした。
     この会社は、通常だと一流企業というところに入れる高学歴の人材が敬遠してしまう不人気業界にいる。だが、その業界でも、「この会社だけは違う」と、オーナーのビジョンに人が殺到してきている。入社してくる人は、「前職の仕組みのほうがきちんと整備されている」と思い込んでいる。そしてそれも事実であることが多い。だから他意はなく、前職の仕組みを持ち込もうとする。だが、そのよいと信じ切っている仕組みが、ベストプラクティスというものではなく単に前職でやっていたというだけの仕組みであった場合、現場は混乱したという。だから、2回以上転職した人である。
     その顧問の方も、かつては誰もが知る超一流の戦略コンサルティングファームにいらした方だと聞くが、インドのジュガード顔負けの発想に驚いた。


    とってもその通りだな、と思った考え方。いつか自分で起業ないしは、そういったポジションに着いたときにも覚えておきたい。

     …では、DXが目的でなく手段とすれば、本来の目的はなんなのだろう。でもそうなると、決まって急に話が抽象的になり、苦し紛れに「競争優位性の確保」みたいに古臭く、そして漠然とした話になるのではないだろうか。
     DXと聞くと、筆者はその昔PwCコンサルティング(のちにIBMが買収し統合)に所属していた頃のペーパーレス化をどうしても連想してしまう。当時のCEOの倉重英樹氏(現シグマクシス・ホールディングス代表取締役会長)は、ペーパーレスを推進した。それは単なるペーパーレスを目指すというレベルではない。
     たとえば、ホワイトカラーの社員一人が所持している紙を重ねたとしよう。どのくらいの高さになるか。そのときの調べでは平均8メートルくらいになるということだった。それをなんと20センチまで圧縮した。ちなみに20センチとは社員ひとりにあてがわれた収納スペース。引き出しひとつ分だった。
     まだ若かった私はそれに反発した。「ペーパーレスは手段であり目的ではないです」と自信満々で反論すると、倉重氏は毅然とした態度で「ペーパーレスは目的だ」といわれた。その迫力に呑まれた私は「はい、わかりました」と情けない返事を思わずしてしまった。
     倉重氏の話は続いた。「プリンター(印刷物)は情報の共有化を阻害するが、壁プリンター(プロジェクター)は情報の共有化を促進する」と。そうなればもう反論とかいうレベルではない。
     結局、まさに究極のペーパーレスが完了した。するとどうだろうか。結論からいえば5年間で生産性が5倍に伸びた。人員の伸びは2倍、売上げは10倍。コンサルティング会社は設備をもたない。つまりこの結果は「人材の能力がついた」ということである。言い換えれば「組織にシナジーが生まれた」ということだろう。
     くわしい話は割愛させていただくが、人が必要とする情報は、紙として引き出しにしまってあったり、記憶として頭の中に眠っていたりしている。誰かから求められた場合、紙をそのまま渡すと、誤解や勘違いを生んでしまったり、その一部に機密情報が入っていたりする。だから、相手に合わせてサニタイズしたり、リファインさせたりするわけだが、それが面倒この上ない。だから、誰かに聞かれてもそれは「もってないということにする」という風潮がどうしてもあった。
     ところがどうだろう。データが電子化され「簡単に情報を加工して渡せる」ようになった瞬間に、凄まじい勢いで情報交換が発生し始めた。情報交換が始まると、「情報をもらえない人間」と「情報が集まる人間」が出てきて、両者の業績の差がみるみる広がっていく。「情報が集まる任天は、自分でも情報を提供する人間」だと感覚的にわかってくるにつれ、ナレッジポイント(情報を出す人間)に人気が集まった。次第に組織のシナジーが生まれてきた、というよりも雰囲気、もっといえば文化までも変わってきた。
     個人的には、それ以来、やれ目的だのやれ手段だの、うるさいことはいわないことにした。特にDXについては、目的か手段かを議論し始めると進めないと思う。デジタル化を進めれば、そこにデータが生まれ、データが情報に変わり、その延長線上で今までと違う発想が生まれやすくなってくる。
     逆にいえば、やってみなければ、どのような成果がどのように出てくるのかを明確に把握できない。ここで躊躇するのかチャレンジするのか、そこで勝者と敗者が生まれてくるような気がする。すでに成功したGAFAの例で正当化しても説得力がないが、彼らのもっている不思議な魅力や文化はこんなところにある気がする。


    とてつもなく象徴的な事例。これも覚えておくためのメモ。

     DXが過熱しすぎて、「DXに注力しない企業は、経営戦略のない会社」くらいの風評が起きてしまいそうな状況である。DXで何をやるかではなく、DXに着手したといえる状況をつくり出したいというように見える。こうした「DX着手中」の札があちこちに出されている中で、この質問を繰り出してみたい。
     「あなたの会社のDXは、何をもっていったん完了としますか?」
     その出口が明確にあるという企業は少ないような気がしてならない。なんとなくのブームの中で、デジタル化の投資を増やし、でもその発想は従来のIT化なかなか抜け出せない。
     一方で「あるべき姿を考え、現状とのギャップを把握し、課題を整理する。そのうちIT化で解決できるところを抽出し….」という従来型のIT化の発想では、IT化は終わっても、そこにあるものには、DXなる言葉が生まれてきた意義が見えない気がする。
     DXの出口はどこにあるのか。たとえば、RPAで経理業務の効率化をしたら、それはDXなのか。それとも、GAFAのように新しいビジネスモデルをつくらないとDXとはいえないのか。
     先に述べたとおり、デジタルには破壊的な可能性があることは誰もが認めるところである。ただ、それはどんな会社にも通用するというものではなかったり、デジタルよりも重要なことがあったりする企業もあるだろう。その一方で、ここまで企業のプロセスや商材のデジタル化が図られると、デジタル化を推進していない企業はデジタル化コミュニティと接続できなくなる危険性がある。
     その企業においてDXが既存のIT化の名称変更ではなく、本当の意味で始められているとすれば、それはきちんと出口が考えられていることだと思う。逆にいえば、出口を聞いてそれが答えられるとすれば、DXが始まっていると個人的には考えている。
     その出口が、先に述べた「RPAで経理業務の効率化」といった、ショボいといわれるようなものでも全然かまわないと思う。
     ここのところメディアでは「デジタル人材1000名を中途採用」のような、IT系企業の大量中途採用の記事をよく見かける。いったん店を開いてしまった企業の「DX出口問題特需」を期待してのものだと思うのは、筆者の考えすぎなのだろうか。


    現職で、DXを軸にしたコンサルに従事している中、出口設定があいまいなままとりあえず進みかけてしまうプロジェクトはゼロではないため、かなり刺さった問いだった。

    優れた思考を促すための10のセントラルクエスチョン

  • この戦略の成功により、社員はどのような恩恵を受けますか?
  • 現在の組織にある課題がすべて解決したとしましょう。あなたの会社は何が実現できているのでしょうか?
  • もし、あなたの会社が、今、突如この世から消えたら、誰が悲しむでしょうか?
  • あなたの会社や事業が、このままの状態だとした場合、その「X-Day(終焉)」はいつ頃来ますか?
  • あなたの会社は新しい戦略を策定されましたが、それにより、どこが弱くなりますか?
  • あなたの会社の社員は、自分のお子さんたちを、自分の会社に入れたいと思っているでしょうか?
  • あなたの会社でのかつての「南極体験」はなんですか?
  • あなたの会社が「世紀の大番狂わせ」をするとしたら、それはどんなものでしょうか?
  • あなたの会社の社員が他の会社に移られた場合、その方々は大活躍する予感がありますか?
  • 今回の戦略の実現を、既存の組織分掌を考えずにとにかく最適な人間に任せるとした場合、誰にやらせたいですか?

  • この10の問いの意図などが気になる方はぜひ本書をお手に取ってみてくださいませ。