空気なんか読む時間とヒマがあったら、もっともっと本を読め、と私は言いたい。本を読むことで自分を読むのです。これは顔色なんか読むよりもずっと大事なこと「俺にはそんな価値がない」「値札をつけたのは私よ。値切らないで頂戴」会話にも、栞がはさめて、ふとしたときに、続きが話せたらいい。怒るのは自分の知恵の足りなさを認めるようなものです。「才能を使い切って見せてくれる人にはこちらも感性を使い切って感じたい」という椎名林檎の台詞をなんとなく秋になる度思い出す。ただそこに存在しているだけでは感性になんの意味もなく能動的に自分という装置をたとえば本や映画や美術館やこれから会う人に破壊されなければならないのだと解釈した。真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!誰かを愛するということが、だんだんと誰かを好きになることではなくて、だんだんと誰かを嫌いになれなくなるということなのだと知ったのだ。肩書きで勝負しない男と、色気で勝負しない女がいいね。酔わなきゃ本音を言えない人を信じちゃだめよ。そういう人は本当の人生を生きていないからね。美しいと感じるものくらい自分で決めなよ。いや、人生は気合だね。人が人を好きになるのは、その人の長所というより、むしろ欠点を愛おしく思うからである。悪口の中においては、つねに言われてる方が主役であり、言ってる方は脇役であるという宿命がある。いばる男の人って、要するにまだ一流でないってことなのよ。なにを言うか以上になにを言わないかが大切なのだろう。でも「言わない」という意図を理解されることはほとんど無い。気が合う人、こんにちは。そうじゃない人、さようなら。人生は気が合う人と出会うための旅でもある。そして気が合う人はそう多くない。多くないからいいんですよ。友達がたくさんいるという人と、私は付き合いたくない。ちょっとでいいんです。気が合う人は、こんにちは。いきなり押しかけてきて、家族は、兄妹は、会社はって、俺のことは何にも聞かない。俺はどういう人間で、何考えているのかなんて、どうでもいいってことですか。結婚すんのは俺っす。家族兄妹会社、周り関係ねえっす。いやもっと言えば、娘さんが何考えているか、どういうことで悩んでいるか聞かずに、適齢期だから結婚か仕事か選べって、、、わかんねぇっす。怒りに対する最上の答えは沈黙。愛っていうのは、距離感だよ。嫌いになったら、好きになるまで離れればよい。そういうことだよ。話しかけるタイミングを探っているうちに人生が終わる。自分の好きに生きてよいのだということをなんどもなんどもなんどもわすれる。他人の痛みを思い知れ、などという言葉を平気で口にできる人は、他人の痛みを想像する想像力が欠如していると思います。大切なのは、他人の痛みを痛むことはできない、ということに痛みを感じるかどうかなのではないでしょうか。無理してでも景気が良さそうに見せている人を見るのが好きだよ。そういう人を見ると本当に景気がよくなりそうだよね。自分のことを語ってはだめよ。黙って人に分からせなくては。嵐の過ぎるのを待つのではなく 雨の中でも踊るのが人生なのです。You have a choice. Live or die. Every breath is a choice. Every minute is a choice. To be or not to be.年を取ったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年を取るのだ。精神的にもっと強くならなきゃいけない。それはきっと硬くなるということではなくて、柔らかくなるということなんだろう。事実というものはなく、ただ解釈があるだけだ。忘れられなかったことを忘れる度、自分が変わっていく気がする。好きな人がいると素敵になっていくのは、嫌いな人の事を考える暇がないからだ。本当に物事が分かっている人は、大声を出さないものである。最近「今、お前、大事な時期だからなぁ。」って言われるんですけど、僕も皆さんといっしょで一回こっきりの人生を生きているんですよ。だから生まれてから今日まで大事じゃなかった時期がないんです。よく生きることが最高の復讐である。生きていることは、徐々に生まれることである。たとえ百人の専門家が、「あなたには才能がない」と言ったとしても、 その人たち全員が間違っているかもしれないじゃないですか。批評家は気にしない。どうでもいいわ。飽きてしまうことを、人間的成長と考える。陛下がくまもんに「お一人でやられてるんですか?」ってお尋ねになられてたの、今考えてみれば心の叫びだったのかもしれない。まだ準備ができていなくても、「その時がその時である」ということ。思考はいつも、今ここにいる自分よりほんの少し古い。近道は遠回り。急ぐほどに足をとられる。始まりと終わりを直線で結べない道がこの世にはあります。迷った道が、私の道です。大事なことなので一回も言いませんでした。男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。僕は今まで、説教されて、改心した事が、まだいちどもない。お説教している人を、偉いなあと思った事も、まだ一度もない。お説教なんて、自己陶酔だ。わがままな気取りだ。本当に偉い人は、ただ微笑してこちらの失敗を見ているものだ。なんでもかんでもカップルの為の日にしようとする風潮の中、節分は頑張ってる。何を隠そう先生はね、ゆとり教育を受けた最初の学年です。ゆとり第一世代って呼ばれてます。…学力が低下して、社会問題になりました。おまけに社会に出たら、使えない、覇気がない、ガッツがない、言われたことしかやらない、ライバル意識がない、危機感がない、緊張感がない、予期せぬアクシデントに対応できない。全部言いがかりです。国が勝手に土曜日休みにして、教科書薄ーくして、それでテストの成績下がったからって、ポンコツ扱いしてるんです僕たちを。でもね、ゆとり世代にも、長所はあるんです。他人の足を引っ張らない。周囲に惑わされずベストを尽くす。個性を尊重する。…みんなと一緒に勉強して、みんなと一緒に社会に出るために必要な特別な措置です。大悟が電卓を使っていい時代がそのうち来ると思う。それが本当の平等。本当のゆとり教育だと先生は思います。はい。この話はおしまい…あと100回は来るだろうと思っていたけど。考えてみれば、もう100回も僕に夏は来ない。「いつまでも子供みたいなこと言ってないで」といわれるとき、たいてい子供側のほうが正しいんですよね。いつでも夏は永遠のふりをする。何かを始めるためには、しゃべるのをやめて行動し始めなければならない。