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「プーと大人になった僕」を観ました。

観てきました。「プーと大人になった僕」。

クリストファー・ロビンは、大人になり愛する妻と娘とロンドンで暮らし、忙しい毎日をおくっていた。 ある日、仕事のことで頭を悩ませていたクリストファー・ロビンの前に現れたのは、かつての大親友のプーだった! 大人になったクリストファー・ロビンとプーさんの奇跡の再会と、そこからはじまる新たな感動の物語。(Filmarksより)

結論、想像以上に良くて、ちょっと泣きました。

まず、やっぱりプーさんがかわいい。

製作陣はよくあのぬいぐるみのプーを採用したなぁ..とちょっと感服しました。フルCGやら手段は多々あったろうに。

でもその選択がすごく当たっていたように思います。目のクリクリ感も自然な動きもない代わりに、森で薄汚れていく感じ。壮大な森で風船を持ってポツンと佇むプーさんのあの佇まい。

それはそれは、愛くるしさが爆発してました。(グッズも売れそう)

次に、奥さんが美人。

どこかで観た顔だなーと思っていたら、MARVEL「キャプテン・アメリカ」シリーズのヒロイン!

>> ヘイリー・アトウェル – Google画像検索

あの切ないラストを連想して、勝手に寂しい気持ちになってました。笑

そして、ユアン・マクレガーさえもかわいい。

本作、キャスティングがピカイチですね。。。ほんとに。

どことなく少年っぽさを感じさせる俳優としたら、ユアン・マクレガーがご名答すぎました。改めてすごい俳優だこと。

加えて、心に残る秀逸なセリフの数々。

People say nothing is impossible. But I do nothing every day.
– みんなはなにもしないのは不可能だっていうけど、僕は毎日やってる「なにもしない」を。

If there ever comes a day when we can’t be together keep me in your heart, I’ll stay there forever.
– もしも一緒にいられない日が来ても、僕はずっと君の心野中にいるからね。覚えていて。

If you live to be 100, I hope I live to be 100 minus 1 day, so I never have to live without you.
– もし君が100歳まで生きるなら、僕は100歳マイナス1日生きたいな。そうすれば君なしの1日を過ごさなくていいから。

A day spent with you is my favorite day. So today is my new favorite day.
– 君と過ごす日は、どんな日でも僕の大好きな日だよ。だから今日は僕の新しいお気に入り。

イケメン。

それと、”風船は持っているだけで幸せ”的なフレーズもよかった。自分にもいろんなものが新鮮に見えていた頃があったんだなぁ…と、ちょっと悲しくなったりもしました。

ただ、年齢を重ねるにつれてたくさんのことを学び、自然に多くのことが見えるようになってからが、本当の真価が問われるんでしょうね。


何もしないことに一生懸命なプーと、労働中心の生活をしている大人の僕。

これはよくある働くことへのアンチテーゼ作品か?(ドラスティックなのは嫌だな…)

と思いきや、働く・働かないではなく、“大切な人との大切な日々を思い切り楽しみなさい、自分にとって大切なこと、好きなことをしなさいよ。”というメッセージングが、わざとらしさゼロで伝わってきて、観ていて心地よかったです。


そして、やっぱりプーさんはひたすらにイケメンでしたね。

本作、クリストファー・ロビンとプーさんは、長い間離れ離れになりますが、そうすると普通は愛情も友情も薄れていくもの。大切なつながりがあったことも忘れてしまいがち。

でも、プーさんはクリストファー・ロビンのことをずっと信じ続けているんですよね。会わない間もずっと会いたいと思い続けている。いやぁ痺れる。イケメン(3回目)。



現代人にはプーさんの哲学が必要かもしれません。

そんなプーさんが初めて出版されたのは1926年。今年で92歳とのこと。

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『グレイテスト・ショーマン』のショー(虚構)のような生き様。

昨日観てきました。話題の「グレイテスト・ショーマン」。

ラ・ラ・ランドの制作チームが入ってるんですよね。しかも音楽部隊に。それは観なければなと。

ちなみに、ラ・ラ・ランドについては以前割と熱めに(厚めに?)語ったので、よろしければぜひに。
映画「ラ・ラ・ランド」は、この時代を代表する作品になるはず。



あらすじは下記を参照してくださいませ。

主人公のP.T.バーナムは<ショービジネス>の概念を生み出した男。誰もが“オンリーワンになれる場所”をエンターテインメントの世界に作り出し、人々の人生を勇気と希望で照らした実在の人物だ。そんなバーナムを支えたのは、どんな時も彼の味方であり続けた幼なじみの妻チャリティ。彼女の愛を心の糧に、仲間たちの友情を原動力に、バ ーナムはショーの成功に向かって、ひたむきに歩む。(Filmarksより)

下記ネタバレはしない(はず)(おそらく)



夢と希望、そして愛とアイデンティティを描いたミュージカル。予告編の時点でこれは好きだな…と思っていましたが、想像通り大好きでした。

そして、存じ上げてなかったんですが、実在の人物を取り上げているんですね。

かなり夢物語的なストーリーだなと思っていた反面、観終わってから知ってしまったために、その前提に立ってもう一度観てみたいな。

ストーリーが物足りないという方もいらっしゃると思います かつ すごくわかるんですが、そもそも実在のGreatestなShowmanを描いているという前提に立てば、見え方がかなり変わるんじゃないかなと。(逆に付け足すのも難しいから、必要十分な内容に思えた)

バーナムは、今まで誰にも理解されずに戸惑っていたマイノリティをエンターテイナーとして採用していくわけですが、一見すると、マイノリティな彼らだけがアイデンティティに戸惑っていると思いきや、主人公のバーナム自身も成功を掴み取る道のりで自らを見失うんですね。

その設定がとてもよいと思いました。自らを重ね合わせるという。

自分は誰のために頑張っているんだっけ(生きているんだっけ)?というありがちな戸惑い方なんですが、最も大切なのは家族とその愛であるという帰結を素晴らしい音楽と映像表現で魅せてくれる点。好きです。だいぶうっとりしました。



映像だと、エンジン全開な始まりがやっぱり印象的ですね。“It’s Show Time”と言わんばかりの幕開け。

(この作品が一つのショー(つまりは虚構)であり、その作り話の始まりを表しているのかと思い込んでいた点、実話だと知ってびっくりしてます)

また、ラストの煌めきと躍動感が圧巻ですね。さすがは“Greatest Show”



ラ・ラ・ランドよりもダンスはキレッキレな印象だったけど、あちらは素人だけどついつい踊ってしまう…という感情の高鳴りを表していて、今回はプロの“ショーマン”が演じるダンス。それは違って当然なんですよね。

ただ、その分、クオリティが相応に求められてそうで大変だろうなーと、謎に苦労をいたわる気持ちになりました。

実際のところ、バーでのシーンは30テイク以上に上り、ゼンデイヤが演じた空中ブランコはほぼスタントなしでやりきったとのこと。(ほんとすごいな)



個人的には、ゼンデイヤが演じたアンとザック・エフロン演じるフィリップの静かな恋模様が好きでした。

身分も人種も違うから、口もきけないし、触れないし、一緒にいるところを見られてもいけない。ただ、目が合う瞬間やその表情で、次第に互いを好きになっていくことが伝わるんですね。

(なんだそのむずがゆさは!!!そんな恋愛をしてみたいぞ!!!!)(はい、取り乱してすみません)



歌でいえば、やっぱり「This Is Me」。特段良すぎてちょっと泣きそうになりました。笑

まさにこの作品の核となる楽曲ですよね。奇抜なサーカス、世間とは外れたアウトローな風貌、黒人との恋愛…と様々な壁に阻まれながらも、世間なんて関係ない。これが私だと奮起する。

“気をつけろ 私が行く”というサビの詞がかっこよすぎて、思わず震えました(歌姫風)。



また音楽全体だと、どの曲もミュージカルらしくないほどに現代風にアレンジされているところが面白かったですね。

冒頭の「The Greatest Show」なんてまさしくだけれど、これほどにR&B調が効いたミュージカル音楽は初めて聴く気がします。

しかも1800年代の話とのギャップが面白くて、古めかしさを感じすぎず、親近感を湧かせながら鑑賞できるという。

やはり冒頭の音楽ってかなり重要ですね。出だしで観客をいかにミュージカルの世界に引き込めるか。

ラ・ラ・ランドの「Another day of sun」然り、ヘアスプレーの「Good Morning Baltimore」然り。(両方大好きです)



にしても、ミシェル・ウィリアムズ最近よく見るなぁ。マンチェスター・バイ・ザ・シーに続きとっても良い役。歌もお上手で驚きました。

ザックもいい男になったもんだ。



でもやはり、ヒュー・ジャックマン。彼をキャスティングした制作陣あっぱれです。ほんとに。彼以外にバーナムを演じられる役者が全く思いつかない…。

ウルヴァリンとバーナムの両者を演じられる役者なんてまぁいないはず。彼こそ唯一無二のエンターテイナー(ショーマン)なんだなと再認識しました。



鑑賞後、「ラ・ラ・ランドよりよかった!」といった声がちらほら聞こえました。人によってはそうかもしれないですね。

テーマ性がだいぶ違うのであまり比べるべきではないものの、王道ミュージカルが好きな方は尚更刺さるかもしれません。

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ウィル・スミス大絶賛の「ジュピターズ・ムーン」がとても面白かった。

先週観てきました。渋谷のヒューマントラストシネマにて。

ここの劇場は居心地がいいことはもちろん、飲食物がしっかりおいしいのが素晴らしい。(「セッション」に出てくるレーズンを入れたポップコーンに似たやつがおいしい)(ビールもハートランドが置いてある!)

あらすじは下記にて。

医療ミスによる訴訟で病院を追われた医師・シュテルンは、難民キャンプで働きながら違法に難民を逃すことで賠償金を稼ぎ、遺族による訴訟取り下げを目論んでいた。 ある日、被弾し瀕死の重傷を負った少年・アリアンが運び込まれる。シュテルンはアリアンが重力を操り浮遊する能力を持ち、さらには傷を自力で治癒できることを知り、金儲けに使えるとキャンプから連れ出すことに成功する。 その頃、アリアンを違法銃撃した国境警備隊が口封じのため彼らを追い始めるが、行く先々で起こる失踪やテロ、不可解な事件の現場に少年の痕跡が残されていることに気づく―(filmarksより)

カンヌで審査員を務めたウィル・スミスが「「ジュピターズ・ムーン」が本当に好きだ。これから先、何度も何度も繰り返し観たいと思う最高の映画だったよ。だけど他のどの作品も素晴らしくて審査員のみんなを説得できなかった。時に民主主義って最低だね」と称した一作です。

ちなみに「ジュピターズ・ムーン」ってどういう意味?と気になる方が多いはず。下記をご参照あれ。

ジュピターズ・ムーン」とは・・・
現在、木星には67の衛星があることがわかっている。そのうち、天文学者ガリレオ・ガリレイによって発見された「エウロパ」は、「ヨーロッパ」の語源となったラテン語「EUROPA」と同じ綴りの衛星だ。エウロパの地表を覆った厚い氷の下には塩水が流れ、そこには生命体が存在する可能性も示唆している。つまり人類や生命体の「新たな命の揺りかご」になり得る場所なのだ。本作を近未来を舞台にしたSF映画として企画したコーネル・ムンドルッツォ監督は、リアルなヨーロッパではなく、どこかにある”もうひとつのヨーロッパの物語”だという思いから、本作を木星の月(₌エウロパ)と名付けた。(本作パンフレットより)

結論、とってもよかったです。(僕も繰り返し観たいぞ!ウィル!)

下記、ちょっとネタバレします。(すみません)








まずなんといっても素晴らしいのは、主人公アリアンが浮遊する映像表現。どうやって撮っているの?と思ってしまうくらい(ちなみに俳優とカメラをクレーンで吊って撮影したとのこと)。

主演俳優の飛び方がとっても端正だから、尚更きれいに見えるんですね。軸が細くてまるでバレエダンサーを見ているよう。

そんな主人公の名前はアリアン・ダシュニ。アリアンという名前がどことなくシェークスピアの「テンペスト」に出てくる妖精”エアリアル“を彷彿とさせるお名前。(実際、念頭にして作られているとのこと)

その点、上記ジュピターズ・ムーンというタイトルの由来もそうだけど、天文学であったりオカルト(?)系に造詣が深い方であれば、なお一層楽しめる作品だと思います。






主人公は冒頭にて銃撃に会うわけですが、その後は果たして生きているのか死んでいるのかが一切語られない。ここはこの作品を一味違うものにしている重要なポイントです。

(本作の舞台は”エウロパ”なので、生きていても死んでいても、たとえ主人公が何をされても死なない設定でも、何があっても成立してしまうんですね)






ただ、そういっただいぶ非現実感あふれる要素と相反して、今なお現実世界で起こっている難民問題の描写がリアルなんですよね。なので、あれ?これはドキュメンタリーなのか?と少し悩みました。(ちなみに、本作の舞台であるハンガリーは、ヨーロッパの中で最も移民・難民に厳しい国だそう。)

いや、エウロパなんですが、監督はフィクションでありながら現実を反映させた物語として観てもらいたかったんですね。(下記の言葉にもあるように。)

「この映画は”alien(宇宙人、外国人、よそ者)”を描いている。”誰がよそ者なのか”と問いかけているんだ。それは視点の問題にすぎないが、”信用”や”奇跡”、”周りとは違う”ということに対し新たな問題を提起するには、遠く離れた惑星の出来事のようなイメージの方が適している」

「本来は未来という設定だった。しかし映画の制作資金を集めているうちに、描こうとしていた事態が起きてしまったんだ。難民たちを取り巻く情勢が現実になったため、そのまま撮影すべきか議論をしたよ」

「残念ながら最初に考えていたような未来の物語ではなくなった。しかし難民という題材を語るうえで、また”奇跡”とは何かを改めて考えるコンテクストとしても、現実の危機的状況を取り入れることは必要だった」(本作パンフレットより)

というか、制作しているうちに収束させていった力量に感服してしまうな…。





また上記背景に加えて、やっぱり脚本が素晴らしい。予告編のみだとやはり浮遊シーンの映像表現に着目しがちなんですが、そこを取っ払っても十分楽しめるかと。

本作は「奇跡(天使であったり、神)と相対した際に、あなただったらどうする?」ということを投げかけていたんですよね。

銃に打たれたアリアンを救うのが、飲酒状態で医療ミスをするという許されざる罪を背負った医者(生き返ったかどうかの描写はありません)。遺族のもとに賠償金と謝罪を述べても許される(救われる)ことはない。

突如出会ったアリアン<神・天使>に、自身の罪の救いを求めるんですね。

また、移民であるアリアンを狙撃した警官。彼は偶然にもアリアンの浮遊を目の当たりにして、アリアンに興味を持ち、最後は追い詰めるわけですが、結局は見逃してしまう。

それは、人智を越えた存在を目の当たりにして、どう接するべきかに戸惑っているから。果たして、天使ないしは神のように見える存在を自らの手で裁けるのか?と。

この3人の重厚な関係性はとても見ごたえがありました。






そして、素晴らしいラスト。

英語でかくれんぼをしている難民の子どもが、「Ready or not, here I come.(準備ができてなくても行くよ)」と。これは奇跡(アリアンの出現)や危機はいつ訪れるのか予測できないというメタファー。

また、警官のシーンをうまく引き継いでいるんですよね。アリアンを追い詰めたものの、結局は見逃したあのシーン。それもどこか納得気な表情で。

その時の彼の心情を、ラストで物語っているのかなと思いました。



今は見逃すけど、“もう待てないよ”と。


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