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潔く柔くを観たら、オッサン化する自分を感じた。

いくえみ綾のコミックが原作の映画、「潔く柔く」を観ました。

最近流行りの”いくえみ男子”が素敵に活躍?する作品です。

あらすじは、高校1年生の花火大会の夜、カンナはクラスメイトから告白されるも、同じ頃、大切な幼なじみのハルタが、カンナの携帯にメッセージを残したまま交通事故に遭い、亡くなってしまう。そのことで恋が出来ないまま社会人となったが、出版社で働くロクと知り合う。無遠慮で悩みなどないように見えるロクだが、自分と同じように心に大きな傷を持っていることを知り…..という感じ。

言うて、漫画のファンでもなく原作を知らない人間として観たので、原作ファンの方にしたらもうそれはそれは”お前分かってねぇなこんちくしょー”的に思われるかもしれませんが。書きます。(ネタバレはないはず。)

コミックが原作の恋愛映画って、これまでも何本か観る機会があったんですが(まぁ一人ではなかなか観ないんですが)、”わーお、いかにも漫画っ”って感じのものが多く、ツッコミどころ多いなぁ…と思ってしまうことがどうも多くて。

でも、この作品はそんなスタンスにはならなかったんですよね。まぁ高校の同級生に長澤まさみ×波瑠×高良健吾×中村蒼の四人がいて、仲良しグループとしてつるんでるという状況はwhat’s?って感じなんですが(いや、まぁでもイケメンはイケメンとつるむし、そこそこ可愛い人は可愛い人とつるむものか。あの現象は何故なんだろう。というか、全国諸々そうなんだろうか。)。

本当にいそうな素朴なキャラクターをリアルに描いている分、わざとらしくなくてなかったんでしょう。きっと。(そういうところが漫画がヒットしている要因なんだろうか。と思ったけれど、漫画はキラキラしてるんだろうか。機会があれば読んでみたい。)

長澤まさみと波瑠に関しては、高校生を演じるのはちょっと無理があるだろうと思っていたけれど、あんくらい大人びた高校生、そういえばいたなぁ。って思えなくもない。ぎりぎりでした。本当にぎりぎり。ごく少数めちゃめちゃちやほやされるような。まさに”マドンナ”と称されるような。

あんな高校生がいたら、学校生活楽しいでしょうな。背が高く、べっぴん。スカートの丈が非常に健全。(視点がおっさんだ。やばい。)それに加え、男性キャスト陣は、安定して高校生っぽかったっすね。この差は何だろう。

また、登場人物の服の着こなしが格好良い。決めすぎないあの感じ。素晴らしいです。多分もっとオシャレにしようと思えばいくらでも出来るんだけど、でもわざと抜いている。その分着慣れている感がないと物足りない。でも物足りなく感じさせない。70%くらいの力でキメているといったような。

キャストに関して、池脇千鶴は何かしら抱えてる役をやるのが上手いし、岡田君は独特の空気感があるから、伊坂作品なり漫画が原作のものに引っ張りだこなのは本当に理解できました。

漫画が原作だからこそ、それなりの台詞もあるのだけど、二人とも臭い台詞を言わせてもさらっと観られるのが不思議でした。本当に自然。まぁ、池脇千鶴の真骨頂はジョゼか。 話変わりますが、岡田君はベージュの服が似合いますね。羨ましい。

そして、なんと言っても主題歌が素晴らしい。斉藤和義の「かげろう」。ぴったしですね。この映画の為に作ったからそうなんでしょうけれど。まぁノスタルジー感満載の楽曲がただただ好きなだけなんですが。

この作品独特の空気?も好きでした。主人公たちの部屋をはじめ、そして働いているオフィスのオシャレ感。主人公たちが育った町並み。これはロケ地巡りが流行ることでしょう。まぁ、社会人一年目?二年目?で、あんなに良い部屋に住んで、自分の趣味の延長線上の仕事(映画、出版)が出来る。そこの設定は漫画っぽいかな。(こういうことを考えてしまうのもオッサン化なんだろうか。いや、流石に中高生もそういうこと考えるんだろうか。)

ちなみに、ロケ地は、広島県福山市、坂町、呉市、竹原市、三原市、尾道市とかだそう。照明も白の色素が多いと言うか、光の当て方がとにかく柔らかくて柔らかくて。

映画の内容にちょっと触れると、この作品では「メール」が大きな意味を持つんですが、携帯のメールを送り合うあのドキドキ感って好きだったなぁ。というのを思い出したりもしましたね。携帯についているランプを見て、来てるか来てないかを判断するあの感じ。

メールだからこそ、送るタイミングはこちらが決めやすく、長い時間をかけられるから、文章の綾を工夫する猶予が生まれる。よって、趣のある文章を送れ、受け取れるあの感じです。はい。

ただ、そういうメールとかももう無くなっていくんだろうなぁ。そりゃあもうどんどんと。って思うと、ちょっと悲しくなりましたね。全てチャット形式になっていき、長い文章を送らなくなり、既読機能がついてストレスも感じ、最終的には文章を送らずともスタンプだけで用を足すとか。それはないか。(こんなことを言う自分も、デジタルネイティブ世代からすると、オッサンなんだろうかね。)

最後に一言。
観た人は分かるでしょうが、ゴキブリのくだり、めっちゃ好き。笑

永遠の0

原作の大ファンかつ、今年一番観たかった映画を今日、観てきました。

原作が好きな映画は大抵、映画は違和感で”ん?”といった感じになってしまうことが多く(伊坂作品は映画でも面白かったりするけれど)、今作品もどうだろうと思いながら観ましたが、想像以上に良すぎて、気づいたら泣いていました。気づいたら涙がボロボロと。

岡田君の演技、零戦の迫力ある戦闘シーン、キャストのはまり感、どれをとっても素晴らしかったです。出演者の三人が宣伝の為に出ていた王様のブランチで、本作の紹介をするだけで涙目になっていたことも、作品を実際に観て納得しました。

原作者の百田尚樹さんも、今まで映画化、テレビドラマ化のオファーをずっと断っていたけれど、今回の素晴らしい脚本でOKを出されたそう。原作と少し違うシーンもあるけれど、それがまたイイ。(本作で宮部は戦時中に一時帰宅しますが、原作ではしないですよね。そして、エンディングが少し違います。)

誰よりも人の為に生きた宮部さんは、いつの時代でもやはりかっこいい。人間として、男として尊敬します。戦争経験者がどんどんといなくなる今の時代に、このような作品があることの意義。今自分が生きているということが、どれほど素敵で、どれほど偉大なことなのか。自分の人生は自分一人のものではなく、自分は何のために生きているのか、誰のために生きているのか。そのことを考えずにはいられない。そんな作品でした。

そして、すごいな。と思ったのは、劇場の年齢層。お年を召した方がいると思えば、中学生がいたり、カップルも親子連れもいる。原作は、最初は圧倒的に60代男性の読者が多かったけれど、だんだんと口コミで広がり、今では20代の女性、10代の高校生、あるいは中学生に広がっているみたいです。この作品を通して、教科書的な知識のみならず、日本の変遷であったり、自分が今生きていることの経緯を知るキッカケになることは、とても素敵なことだと思います。

また、主題歌「蛍」が最高に映画を引き立てます(下に歌詞を引用させて頂きます)。流石はサザン。映画に強く共感した桑田佳祐が書き下ろしたそう。サザンがグループとして映画主題歌を提供するのは、桑田佳祐監督作の「稲村ジェーン」以来、23年ぶりってのもすごいですね。

下記、印象的なコメントを引用させて頂きます。

「家族のために必ず生きて帰る。それこそが愛ではないか。」そう信じ、「待っている人がいる」ことそのものが生きる力になり、生きる原動力になっている。現代を生きる私たちにも通ずる、そんな主人公宮部久蔵の姿に非常に大きな感動をいただきました。この映画の中に流れている「平和への祈り」のようなメッセージを、私なりに音楽という形を通じて、多くの方々に伝わっていくためのお手伝いが、少しでも出来ればと思っております。そして、この映画が大成功されることを心よりお祈り申し上げます。(桑田佳祐)

この映画は、現代に生きる僕たちにとって一番大事な、日本の歴史の転換点を描いています。僕が演じた大石賢一郎にとってだけでなく、我々が日本人である限り避けて通れない、歴史の重要な1ページですから、改めて噛みしめないといけないし、この映画がそういうことを若い人たちに知ってもらえるいい機会になるんじゃないかと思っています。今回、山崎監督とご一緒できて本当に良かった。面白い映画になって、たくさんの若者たちが観てくれるのではないかと。監督がきっと素晴らしい作品にしてくれると期待しています。(故・夏八木勲)

Save me, take loop.

レイトショーで観てきました。(ネタバレはありません)

レイトショーの映画館。知り合いカップルを見かけてしまった時の気づかれたくない感は凄まじいですね。めっちゃそわそわしてました。

そしてすごくどうでも良い話ですが、神奈川の109CINEMAS系列で流れる「一平不動産」と「湘南カインズホーム」のCMのセンスは酷すぎると思います。酷すぎて逆に気になる。どういうプロセスで作られているんだろうか。

まぁそれはさておき、終わってしまいましたよ、SPEC。

すごく腑に落ちました。面白かった。世界観は広がり過ぎて、向井理演じるセカイのセリフとか、ちょっと違和感あるなぁと思ったけれども、よくまとめられてるな。と思いました。劇場版の天のラストシーンで当麻がとっていた行動も、きちんと繋がってましたね。

以前、昼間にやっていた映画SPEC公開特集番組で、堤監督が「気づく人は気づく」と言っていたシーンも分かって良かった。おかげでエンドロールもエンドロールの後も気が抜けなかったけれども。そして、エンドロールはこの物語を読み解くのに重要なヒントだったのか。

個人的に、SPECの終わりに適したシーンは三つあったと思います。

一つ目は、ドラマ版の終わり。当麻がSPECを使用して地居を倒すシーン。いい感じに謎も残り、独特の余韻を残す。エンドロールの後に当麻が独特の口調で「映画化なんてしねぇ」と言い放つ。いいですね。

二つ目は、翔で当麻の手を掴んだ瀬文が、当麻に温かい言葉を投げかけるシーン。あれは名言ですね。また、言い方が二人の不器用な関係性を象徴しているようでイイ。あそこで終わってもかなり綺麗だったかなぁと。

そして三つ目は、今回の爻ノ篇。漸ノ篇を観たとき、すごく納得がいかず、「二つに分ける意味あるのか?これ」とか思ったけれども、きっと二つに分けていなかったら、こんなに漸ノ篇が引き立たなかった。これも演出の一つなんだと思うとやっぱりすごい。爻の篇の上映が開始して、今なら「漸ノ篇を観て、すぐ次の時間に爻ノ篇を観る」っていう鑑賞方法が出来るなぁ。と、ちょっと羨ましく思っていたけども、実際、少し間を置いた方が楽しめる気がしました。公開日を約4週間空けたのもすごく絶妙だったんだなぁと。

それくらいすごかったです。

以下、思ったことを諸々。

堤監督の作品は、カメラワークの点において、テレビドラマの方がイイような気がしました。ドラマ版だったら当麻を固定アップで撮るシーンも、映画ではスクリーンの大きさを考慮に入れ、より臨場感を出す為にカメラが固定ではなくなっている。堤監督の独特な撮り方はそのままにした方が良かったかなぁと。SPECで言えば、各回の始まりにおいての空から都庁などを撮影するシーンなど、あの雰囲気はSPECにおいて結構重要な要素ですよね。あの独特な感じは残してほしかった。

ただ、シュールな抜き方は流石。セカイと白い女と対峙する瀬文の場面に入れてくる感じ。まぁ、あのシーンは理由もなしにいきなり感がありましたが。でも、他の映画の出演者なり、アナウンサーを出演させるTBSはくどい。ものすごく鬱陶しいプロダクト(?)プレースメント。

また、今回の作品で、シンプルプランの説明として使われていたなじみ深いものにしろ、他の回におけるものにしろ、脚本の西荻弓絵さんの作品は、身近なものを入れるセンスがいいな、と思いました。

前回の安堂ロイドにおいて、”想い=素粒子”であると、沫嶋教授が発見した際のキッカケは東日本大震災でしたね。(観てるのか!お前!!って感じかもしれませんが、脚本家が好きなので面白くなるんじゃないかと期待して観てます。)(今もつまらなくはないです。ただ、設定が近未来すぎて日本のテレビであれを題材にするのが難しいんだろうなぁ、という。)

エンドロールのセンスも良かったなぁ。SPECっぽいなぁと思いました。SPECのドラマ版において、あの独特なごみごみしたエンドロールや、シャボン玉が飛ぶエンドロールのセンスが好きっていう人は多いはず。THE RiCE COOKERSの”audioletter”も良い歌。

話めっちゃ変わりますが、結で、韓国語を話す要人女性という役名(笑)で出演していた女優さんがとっても美人で美人で。自分はアジアンビューティが好きなのか。と、改めて思いました。(あくまでも外見上のあれですが)(そういえば、高三の時に好きだった人も黒髪モデル体型だった)

ああ、大好きな作品が終わってしまった。

なんとなく観ていたこの画像も、よくよく見るとそんな意味があったとは、と。もしかしたらSPECは、当麻と瀬文の究極のラブストーリーなのかもしれません。

今更ですが、「当麻」「瀬文」って名前いいですね。そして、「セブミタケル」という名前が”Save me,Take loop.”から来ているという説。天才ですね。(今回の作品見ると、うおーっ、と。)

主役の二人の人間性が、たまらなく好きでした。

さようなら、SPEC。