2020年4月14日、鹿児島の祖母が亡くなりました。
死因は心筋梗塞。前日の朝に日々の日課だった畑仕事から帰宅し、台所で倒れた際に頭を打ち、出血もあったそう。
隣に住んでるご家庭が不審な様子に気づいた時には、もう心肺停止状態だったと。
いつかはやってくる、と、どこかでは理解しているんですけどね。年齢も無関係で訪れてしまうかもしれない。
ただ、本当に突然で。
通夜、告別式を済ませ、身内の収骨を初めて経験した今でも、全く実感なんて持てないものなんですね。
祖母はとてもやさしく、そして強い人でした。
シベリア抑留から帰還した祖父と結ばれ、息子三人の子宝に恵まれた家庭でしたが、とにかく自分のことは常に後回し。
やんちゃも沢山してきた男性陣は何も手伝わずに、全て一人で切り盛り。
裕福でもない中、祖父がいつも家で宴会を開くものだから、家計は常に火の車。
そんな中、始めたのが日用雑貨のお店だったとのこと。
(一件、素敵な口コミをつけてくださってる方がいますね….。嬉しい)
耳や目が悪くなっても、店頭には立ち続けていたそうで。地元のコミュニティセンターのような立ち位置になっていた。いわゆる憩いの場ですね。
本当に働き者で、貯めたお金も息子と孫のためにしか使わない。自分はいいから、が口癖。そんな人でした。
亡くなる当日も、毎日欠かさず500mくらいある登り坂の山道を上り、畑に出向いていたそうです。野菜がすくすくと育っていく、そんな姿を見るのが好きだったんですね。楽しそうに話していたのを思い出します。
願わくばもう一度でいいから、祖母の作る煮しめと手打ちの蕎麦が食べたかった。
ああ、5日前は祖母もここを歩いていたのかと。そんなことを思いながら歩く道は、足取りが重くなりますね。もう1年後には畑にも草木がこれでもかと生えているんだろうな。
根占(今は南大隅という名前)といえば、もう鹿児島の本当に最南端。一番近いコンビニにも車で20分くらい、病院なら倍くらいの時間を要する。(実家は全くネットが入らず、PC作業できないのでIT系としてはつらい)
自分は新卒でクラウドソーシングの会社を選んだのですが、それには当時二つの理由がありました。
一つはセンス抜群の母のような方々に自己実現の機会を提供したかったから、そしてもう一つは祖母が一人で住む姿を見て、拠点に囚われない方を増やすことで、高齢化する地方をフォローしたかった。
絶対に泣かない、なぜなら一番泣きたいのは長男の父だから、と胸に決めて鹿児島に乗り込んだのですが、やはり無理でした。(突然の訃報を聞いた日には、一人暮らしでただただ泣いてしまったのですが)
あの頑固で優しい父が思わず漏らした嗚咽、そしてその後ろ姿を、生涯忘れることはないでしょう。
コロナという環境下で不安を抱えつつも、慌てて鹿児島に来てからあっという間の4日間でしたが、いとこや親戚に久々に会えて、とてもいい時間でした。
これも祖母が繋いだ縁だと思うと、改めてその偉大さが身に染みます。
自分も、やさしく、強く、ひたむきに人生を全うします。
91年間の人生、長かったのか、短かったのか、最後に聞くことはできませんでしたが、安心してください。
おばあちゃんの意思はちゃんと息子たちに届いています。そして、これからも孫たちが大事に受け継いでいきます。
沢山のありがとうを送ります。どうか安らかにお眠りください。