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ナオコーラと「her」

山崎ナオコーラさんが恋愛に対して、素敵なことを書いています。

…長く会わないでいた同世代の友人と会うとき、「パートナーシップ」についての話題がよく出る。「最近どう?彼氏は、いる?」「結婚の予定はないの?」等々。
私も聞くし、相手からも聞かれる。
結婚トークは面白いし、自分にその予定がなくても、盛り上がれる。
でも、たまに違和感を覚える。
久々に会う女友だちが、自分の彼氏の話をする。「彼は私にこういうことをしてくれる」「でも、こういうことをして欲しいのにしてくれないのー」「別れた方がいいのかな?」等々。
学生時代は「彼のこんなところが好き!」「先のことはわかんないけど、夢中なの!」と言い合っていたのに、結婚を意識する年代になると、恋愛観が変わるのか?
瞬間における人との心の触れ合いを重ねていくことを恋愛だと思ってきたはずなのに、いつの間にか自分の人生にメリットのある関係を築いていくことが恋愛であるかのように会話をしてしまっている。
私はやっぱり、立ち戻って、恋愛を捉えたい。
恋愛においては、「相手が自分に何をしてくれるか」「大事にしてもらえるか」ということよりも、「自分がどうするのか」「自分は相手を大好きだ!」と考えることの方が重要だと、私はこれからも、考えたい。
だから、大好きな人に出会ったときに「出会えただけで十分だ」と私が思う可能性がある。結婚しない人生も私にはあるだろう。
ただ私は、自分の結婚式で蝶ネクタイを締め自分で司会を務めたい、という野望を持っているので、それができなかったら、少し残念だ。

相手が何がしてくるかではなく、自分がどう思うか、相手をどんなに好きか。

まさしくごもっともだと思いました。自分の想いがいくら強かろうと、相手にそれを押し付けていいわけでもなく。

この言葉は、映画「her」にも通ずるものがあります。

この作品、ご存知ですかね。
「ザ・マスター」で難しい役どころを演じきったホアキン・フェニックスが、彩り豊かな色調の中でいい演技をしていたあの作品です。


スカーレット・ヨハンソンの声の良さの方がfeatureされていて笑いましたが。
(個人的にはエイミー・アダムスの地味目な役どころのマッチ具合もすごかったと思う)

アバウト・タイムが日本で上映する前に、ちょっと話題になっていました。
(どちらも渋谷のシネマライズはしっかり上映していたな。やっぱあそこはすごい。センスがいい)

ストーリーは以下を参照。

近未来のロサンゼルスで、セオドア(ホアキン・フェニックス)は相手に代わって思いのたけを手紙にしたためる代筆ライターをしていた。長きにわたり共に生活してきた妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と別れ、悲嘆に暮れていた彼はある日、人工知能型OSサマンサ(スカーレット・ヨハンソン)と出会う。次第にセオドアは声だけで実態のない彼女の魅力のとりこになり……。

OSと人間の恋。今でいうiPhoneのSiriとの恋。
実態のないものとの近未来的な恋といった点で、とても注目されていました。
(その分、埋めることができない肉体的・身体的な部分を映し出す描写が多めでしたね。)

この映画にも、上記の文章を物語るシーンがあります。それも結構重要なシーン。

主人公のセオドアは、OSのサマンサに恋をするんですが、サマンサが内臓された機器はセオドアのみが持っているわけではなく、アーリーアダプターを中心に広く普及し始めているんですね。

セオドアはそのことに気づいていなかったんです。
自分とサマンサという一対一の純粋な関係に恋をしていた。

外に出て、街を見渡すと、みんなが同じ機器を持ち、みんながサマンサと話している。

主人公がその状況に気がついて狼狽するシーンがあります。

セオドアは自分の一途な想いに対するサマンサの状況に憤慨するわけです。
ユーザーであればみんなにいい顔をするのか。と。

ただ、サマンサとしてはどうすることもできない。そういったプログラムなので。

最終的には、、、、、、、(まぁここは観ていただこうと思います)
(暖色の使い方と、ロサンゼルスのやわらかいネオンが素敵なので、注目してみてください。)

この作品も、恋愛は相手がしてくれたことに焦点をあてすぎるとうまくいかず、恋愛は始まった時と同じ速度で走り続けられないということを示していたんですよね。

求めあうフェーズは勿論あれど、それは長く続かない。
(いや、続く関係もあるのかもしれないですね。経験したことないだけで)

じゃあ、どうすればいいの?となると、相手から何をしてもらうかではなく、自分が何をしてあげたいかにフォーカスする。

ずっとそう思える相手と恋愛ができれば、これほど幸せなことはないでしょうね。

そんなことを書いていたら、「ニキの屈辱」を思い出しました。

はじめも、おわりも、ナオコーラ。

やっぱり、アバウト・タイムがよかったと思う。


(ちょっとミーハーだけど。)

だいぶ話題になってたし、ツイッターやらインスタで絶賛している人もちらほらみかけた(自分もした)ので、もう既に観ている人も多いはず。(ちなみに自分は3回観た)

ちなみにストーリーは、下記。

自分に自信がなく恋人のいないティム(ドーナル・グリーソン)は21歳の誕生日に、父親(ビル・ナイ)から一家の男たちにはタイムトラベル能力があることを告げられる。恋人を得るため張り切ってタイムトラベルを繰り返すティムは、やがて魅力的な女性メアリー(レイチェル・マクアダムス)と恋をする。しかしタイムトラベルによって生じたアクシデントにより、そもそもメアリーと出会っていなかったということになってしまい……。

「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」というタイトルの、”愛おしさ”って果たしてどういうことなんだろうと、感覚的にわかっていることについてしっかり書いてみたいな。と思っていたんですが、
考えれば考えるほど、わからない。ので、

この作品のどこがよかったんだろう。というお話にします。
で、いくらか考えたんですが、、、

・どんな能力を使っても変えられないものは変えられないという教訓
・”今、生きている” そのことが大事。という素晴らしい終わり方
・もしかしたら自分もタンスに入ればできてしまうのでは、、と思わせるリアル感
・子供をお見送りするシーンなどの光の差し込み加減のあたたかさ
・ただただキャストがいい
・クスッと笑えるユーモアセンス
・わざとらしさが全く見えないその演出
・色・風景・インテリア・服装のヨーロピアンテイストがおしゃれ
・「私たちの人生も同じよ いろんな天気があるわ」「パパのいない人生に興味はないの」という素晴らしいセリフの数々…

といった素晴らしいセリフの数々….

なんて、出そうと思えばいくらでも出ると思うんですが、結果、決め手ってないんだろうな。って思うんですよね。
すべて組み合わさっていたというか。

どんなジャンルだとか、いつ作られたとか、どの国で作られたかとか、誰が出ていて誰が監督しているとか、そんなことをツタヤ(登場人物)は超越していた。究極的には「いいものは、いいものだ」。そのことに時代や国籍は関係ないのだ

と、「モテキ」「告白」「悪人」などを手がけた映画プロデューサーの川村元気さんは著書で言っていますが、まさしく、そんな感じだなーと。

また、この作品はおそらく5年後見ても、10年後見ても、同じく感動を覚えるんじゃないかと思います。
それは、時間、家族という永遠のテーマを扱っているという点が大きいし、このくらい映像が綺麗になったことに加え、作中でなにかしらのIT技術を使っているわけではないために、おそらくこれを観て「うわ、古いなー」とは思わない。違和感なしに観れるのではないかと。

定期的に観たい。そして、
できれば大事な人と。家族ができてもこういう作品を観ていきたい。
そう思える作品でした。

個人的には、主人公ティムを演じたドーナル・グリーソン(ハリポタでロンのお兄ちゃんでした)の優しさ溢れるあの風貌、ヒロインを演じたレイチェル・マクアダムスの可愛いと感じない人はいないと断言できるほどのあの可愛さ、お父さん役のビル・ナイのコミカルな演技と温かさ、このお三方がとにかくよかったですね。

ちなみに、アバウト・タイム(about time)というタイトルには、リチャード・カーティス監督の引退の意味も含まれているというおしゃれさ。(about time = 今がそのとき)

やりますね。監督。

「インターステラー」に感じた宇宙映画の最先端


観てきました。”インターステラー”。

クリストファー・ノーラン最新作です。いやー、この人の頭の中を覗いてみたい。と本気で思います。(「ダークナイト」シリーズ、「インセプション」などを撮った監督です)

おそらく彼の集大成となる作品。圧倒的に面白い。ノーラン作品が好きな方は必ず観ましょう。

あらすじとしては、近未来、地球規模で食糧難と環境変化が起き、人類滅亡間近という状況。そんな中、人類が移住可能な新たな惑星の探査飛行というミッションに、元パイロットかつエンジニアの主人公が大抜擢。地球に残してきた家族と人類滅亡の危機。二つの間で葛藤しながらも、宇宙船に乗り込み懸命に奮闘する….。といった流れ。

この人の最近の作品には、”方向”があると思っているんですが、「ダークナイトシリーズ」では、一旦落ちて最後に上がった(ライジング)。「インセプション」では内側に進んでいった。そして、この作品ではどちらかというとマイナススタートで上に上がっていく感じでしょうか。(いや、どの作品もある意味マイナススタートか)

とりあえず見終わって、なぜか身体が熱いんですよ。いい意味でぐったりしてしまって。とにかくインスピレーションの大きさが尋常じゃない。見えている世界が違いすぎて、ただただ考えさせられました(いやまぁ自分と違うのは当たり前なんですが)。

重力と次元の話でも相当すごいんですよ。本当に。ただそこに「愛」を盛り込み、「エゴ」を盛り込み、自分は”何に生きるのか”ということを問わせ、”地球が滅亡しても人類が滅亡するわけではない”というメッセージを感じさせ、人類が今まで(現在進行形か)地球にしてきたことの報いを考えさせ、それを圧倒的な映像美と重々しい演出を魅せる…..

なんだこれは。って感じなんです。本当に。これが3Dであったら半端ないでしょうね。砂嵐のシーン、宇宙でワームホールをくぐるシーンなど。(2Dでもすごいです)

そして、地球があんなにも荒廃するに至った原因が作品中で一切語られないのも、おそらく演出なんでしょう。本当にこの人の作品は、観る人によって観え方が相当に変わりますね。想像力をどこまで掻き立てさせられるのか。

まぁでも相変わらず演出は重苦しい。愛する家族のために地球を救いに宇宙へ旅立つ。これだけを聞くと、もはやアルマゲドンですからね。全く違うんですけど。色調も静寂もダークですから。予定調和的なところもなく、感動大作!!!って宣伝で観れる感じでもない。宇宙に行っても、SF!キラキラ〜っ的な要素は皆無。レベル感としてはインセプションの夢の階層を降りる感じと似てますね。

「相対性理論」、「5次元理論」といった、難解で複雑な理論を掛け合わせていますが(ノーランお得意の手法)、科学系な知識が全くない人でも割と楽しめると思います。自分もうっすーく相対性理論を知っているのみなので。

ただ、知っていれば尚更面白いんだろうなぁ。相当な専門家とタッグを組んで、知識的な面を組み立てているそうなので。(相対性理論の本に、この映画の帯が巻いてあったら売れるでしょう)

そして、この作品は「2001年宇宙の旅」のオマージュなんでしょうね。HALを思わせるロボット、異次元へのワープ映像など。あの荒唐無稽な感じに加え、この作品には家族愛を絡ませた分、温かさがあって、詰め込めるだけ詰め込んだのにきちんと収束しているのがすごいんですが。

となると、キューブリックさんすげえってなりますね。1968年に既にあの作品を撮っているということが。(そういう凄さでいうと、デヴィット・フィンチャーの「ファイト・クラブ」だったり、「ゲーム」は、今見ても本当に新鮮ですごいな。と思っていたんですが、ちょっとレベルが違います。)

また、本編後半、宇宙空間に投げ出された主人公が5次元空間へと続くワームホールを急降下するシーンは、ヒッチコックの「めまい」のポスターデザインへのオマージュでしょうか(?)。

初めの方に感じるひっかかり(”STAY”など)を全て綺麗に回収してくるところも流石でした。「時空を超えた愛」の表現方法も重厚で綺麗だったなぁ。少し展開が希望的すぎるということはありますが、宇宙空間は勿論のこと、娘の部屋が積み重なるあのシーンの映像美は芸術そのものだと思います。(あのシーンの壁紙ほしい)

キャストも、アン・ハサウェイ、マイケル・ケインなどダークナイトシリーズでおなじみの方から、「ダラス・バイヤーズクラブ」のマシュー・マコノヒーなど、演技派が集まっていて、見応え満載です。ただ、マット・デイモンがこういう宇宙系の作品に出ると、どうもエリジウム感が出ますね。

この作品のPVの主人公が地球で家族に別れを告げるまでのシーンが、マン・オブ・スティールの主人公(つまりスーパーマン)が育ての親と地球で過ごすシーンとめちゃくちゃ似ていて、またそういう感じですかね。って感じだったんですが、すみません。ノーランさん。(おそらくそれは、ハンス・ジマーの音楽の調子が似ているからということもあるはず)

ぜひ観てください。おすすめです。(疲れるのでデートには向かないでしょう)

最後に一つ。

ラストシーン。アン・ハサウェイが宇宙服のヘルメットを脱ぎます。あれはノーラン作品おなじみの、結末を考えさせる演出なんでしょうかね。どう思われたか、観た人と話してみたいです。

それでは。