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再就活のハナシ。

「先輩!就活よくわかりません!教えて下さい!」と言われる機会が多くなりました。が、実は再就活をしておりました。わたくし。(わお)

4月の終わり(5月のはじめ?)に内定を承諾してから、何度も納得しようと思ったものの、「自分は何の為に働くのか」という思いは膨らむばかりでありまして。

(自分がいかに考えずして、就活を終わらそうとしていたのか。ということなんですが)

あまりこのような経験をする方もいらっしゃらないのではないか(?)と、勝手に思っているが為に、どのような業界に進むことにしたのか、何故そのような決断をしたのか、などなどを書こうと思います。(せっかくなので)

結論として、進むのはクラウドソーシング業界です。(もう代表的なのは二社しかない)(まずい)

で、決め手となった柱は、「IT × 新しい働き方」

この柱について少し掘り下げてみようと思います。

まず、「IT」について。

なぜ、ITなんですか?というのは、第一就活期(普通の就活ってことです)の時から聞かれまくっていたことですが、(今ぱっと思いつくのは、)大きなものとして7つ(くらい)あります。

①小規模で大きなインパクトが与えられる
環境さえあれば、すごい広範囲に影響を与えられると思うんですよ。ITって。まるで梃子のように。それがやっぱり面白いな。って思うんですよ。

②ベンチャー独特のスピード感
意思決定めちゃ早いです。まぁ企業によるかもしれませんが、意思決定を早くしてとにかく仮説検証を繰り返していかないとマンパワーが充足していない分、勝負できないとかが大きいんでしょうか。変化のスピードもめちゃ早いですよね。

③同時並行で仕事をしてもよい(ところが多い)
これは自分がどのような働き方をしたいのかのイメージによると思うんですが、自分の場合、あまり細分化された仕事しかさせてもらえない企業とかには入りたくなかったんですよね。

ましてや、マーケで入ったとしても、ゆくゆくは人事的な仕事もさせてほしいと思っていますし、IT(ベンチャー)は多様な働き方が比較的しやすいというチャンスがあるのではないかと感じています。まぁこれは比較的上層部が若いが為に、時代にあったワークスタイルを取り入れようとしている+人が多すぎない分、兼務も出来るといった感じかと思います。

④これからの人材として不可避
これからITのスキルがない人材って、結構深刻だと思います。ええ。

⑤そもそもIT業界という括りがなくなっていく(と思う)
みんながみんなITに乗り出す(乗り出さざるを得なくなる)為、ITに関することをするのは当たり前になって、IT業界という括りがなくなるのではないかと。

そういう時代になった際に、リードする側にいるのか、それとも慌ててキャッチアップする側にいるのか。という選択をするとしたら、自分は前者を選びます。と。

⑥古いおっさんがいないから
これがめちゃくちゃ大きいかもしれないんですが、頭の固いおじさまがいらっしゃらない(可能性が高い)と思うんですよね。

おじさま方が密集している業界(例えば出版)は、もはやその業界のうまみを取り尽くしている分、若手が新たに参入して勝負するスペースが残されていないと思うわけです。

これは就活の際にものすごく感じていたんですが、そういう業界の説明会など、ただただストレス…(このハナシはまた別の機会に)

⑦企業のビジョンと事業内容が乖離していない(ところが多い)
これは小規模ベンチャーのハナシですね。笑

掲げているビジョンとやっている事業内容が離れているのは絶対に嫌だなと思っていまして。(メガベンチャーの離れ方とかすごいですよね。)離れているからこそ、ビジョンも心底曖昧なことしか言えないという。

この7つに関しては、実際に何社か長期インターンをしてみたり、実際に色んな人と話したりして思ったことに依っています。(なんかITを選んだ理由と言うよりも、どの要因を大事にして就活していたのかのハナシになっている感満載ですが、お許しを)

その他、会社が大きくなった時にピラミッドの上部にいられるなど、創業間もないベンチャーに入ることのうまみについて気になる方は、ぜひ聞いて下さい。(また、教えてください)

そして、「新しい働き方」について。

これは、大きな要因が二つあります。

まず一つ目は、母のハナシ。
自分の両親は、元建築士なんですね。まぁ父は今は違う仕事をしているんですが。

で、母はというと、結婚を機に専業主婦になったんです。

自分は大学生になって、これ!といったものをなかなか決められず、

様々な分野をつまみ食いしながら勉強していたんですが(まぁそれはSFCの良さでもあり、悪さでもあり)、

その中で、「働く」ということの重要性について、とても関心を持った時期がありました。(今も勿論持っていますし、これから自分が働く上で更にその関心は増すのでしょうけども)

人生の3分の1を占める「働く」。

ここにフォーカスし、「働く」を充実させることによって、その人の人生自身が充実するのではないか。

と、簡単に言うとそんなことを思ったのがキッカケでして。

で、その「働く」(に関連する「キャリア論」「仕事論」など)を学び、僅かながらですがインターンを通して実際に働いてみて、引っかかったのは、

「母は、専業主婦としての母と、現役建築士としての母で、どちらが幸せなんだろうか?」

ということでした。

“どちらが幸せか”だなんて、幸せは比較できるもんじゃないだろう!

そもそも両方を同時に経験することなんて出来ないんだから、自分がどう思うかで決まっちゃうもんでしょ!

という意見もごもっともで、恐ろしく仰る通りなんですが、

就活を機に、実際に聞いてみたんです。母に。

そしたら、

「続けられたら続けたかったけど、今も十分幸せだよ」と。言ってくれたんですね。

当時、女性のキャリアに関する法律は徐々に制定されてきたとはいえ、実際の社内政治ではやっぱり大変だったと思うんです。

で、どうして自分がこんなに「母の現役か現役じゃないか。」ということにこだわるかなんですが。

めちゃくちゃセンス良いんですよ。うちの母親。

絵を描かせたら絶対勝てず、字もとびきり上手い。図なども本当に精密に、ささっと書いてしまう。

その要因が、100%元建築士だから(?)なのかは定かではありませんが。

自分が小中学生の時は、よく夏休みの宿題が間に合わず、

母に絵を描いてもらったりもしたんですが(今だから言えるカミングアウト)、必ずコンクールに選ばれるんですよ。

しかも、上手すぎて、流石にばれるから後から自分が下手に見せる為に色を重ね塗りしまくっても、選ばれてしまう。

中学校で開催されるお祭り的なものに参加しても、至る所に母が作ったポスター(焼きそば500円とか)が掲示されている。

母自身の人生を充実したものにしてほしいということに加えて、

心底勿体ないと思うわけです。こういう才能を持て余しているところが。

そこで、新たな働き方に対して実感を持つようになりました。

“実感を持つ”という言い方はあれかもしれないのですが、身近なことだな。と思ったんです。おそらく周りの人間よりも。

そして二つ目が、父方の祖母のハナシ。
父は鹿児島県(の下の方)出身で、

大学三年生のはじめ(ってことは、去年のお正月)に久しぶりに帰省しました。

鹿児島の下の方といっても、全くイメージが湧かないんじゃないか。と思うんですが、

それはそれは結構すごいところなんですね。

一番近いコンビニに行くのに、車で2〜30分かかる割に、バスがほぼ通っていない。

病院も遠い。(SFC生には厳しいでしょうが、)もちろん電波はない。

60,70,80代の方にとって、かなり深刻なのでは?と思うわけです。

そして、印象的だったのが(恵まれている方なのかは分からないのですが)、祖母の家の周りには何軒かの家は一応あるんですね。

(地方格差と孤独死の問題に関しても若干学んでいたので、コミュニティとしての関係性が働いていることを感じて、少しほっとしたんですが。)

ただ、どの家を訪れても、ご年配の方しかいらっしゃらない。

で、息子さんはどうされているんですか?と伺うと、皆さん揃いに揃って「東京・福岡・大阪で働いている」と。

震災を経験して、日本は東京一極集中のワークスタイルを続けていると危ない。ということを認識されている方って結構多いと思います。

でも、どうしても働くとなると、都心に出ていく他ない。ましてや、田舎ならそれは尚更だと。

あ、でも新しいワークスタイルが普及すれば、少しはこの問題にメスを入れられるなぁ。と思ったわけです。ネット環境が更に整備されることに合わせて。

ということで、「IT × 新しい働き方」という軸が出来ました。

「自分は何の為に働くのか?」

これは、本当に突き詰めて考えた方がいいと思います。

これを考えた上で就活を終えると、必然的にその選択に納得することが出来ますので。(おそらく)

じゃあ、第一就活期はどうだったんだい?きみ?

というハナシですが、ほとほと甘ちゃんだったわけですね。

当時の思考を振り返ってみると、、、

長期インターンでやってきたWebマーケを極めるのいいんじゃね?

→じゃあ、ネット広告いいやん!
→やりたいことが明確じゃないってか、やりたいこと多すぎるんです!
→じゃあ、本当にやりたくなった時にやれるだけの力をつけよう!

って感じで。あとは人の良さ!裁量権!挑戦!成長!とか、もうマジックワードのオンパレードだったわけです。

というか、成長する為、力を付ける為に入る企業って何?他のとこじゃ力つかないの?というか力って?

などと、とにかく突っ込みどころは満載で、今思うと素晴らしく恥ずかしいんですが。

加えて、自分の就活が甘くなったこととして、

案外上記の浅い思考でも、就活全体を見ると結構上手くいったんですよね。

内定も9つほどもらい、人気企業で”おお!”と言われるような企業からの内定もある。

運が良かったと言うべきなのか、悪かったと言うべきなのか。(今の自分からしたら後者なんですが)

これは◯應効果なんでしょうかね。

これで、恐ろしい程失敗をしていたら、自分もぐずな自分をもっと早めに考え直していたと思いますね。

で、そこで内定承諾後にずっと考えていた「自分は何の為に働くのか?」という問いかけを考え直してみると、

ネット広告の企業に入り、「クライアントの売上増加の為に」働くのか。
それとも、クラウドソーシングの企業で、「新しい働き方を提供する為に」働くのか。

もう考える余地がありませんよね。って思うわけです。自分の場合は。

まぁそんなこんなで無事内定を頂き、再就活を終えることが出来たのですが、親に説明するフェーズがそれはもう大変なこと限り無し。といった感じで。

商社に入ってほしいが為に、慶應に入れてくれた親ですからね。

「創業2年半で、社員数20名ちょいの企業に行きたい!」なんて言い出したら、そりゃ不安でしょう。

ましてや、デジタルネイティブなわけでもない。なぜそこまでITにこだわるかも理解はできない。(まぁその点、ネット広告でも納得はしてないはず)

ここの説得体験談に関しては、今回は書きません。(気になる方は聞いて下さい。長々とお話しします。)

ということで、これから就活をされる皆様。やるからにはやり通してみて下さいね。

やり通すってなんですか?と思うかもしれませんが、自分について、本当に深く根気づよく考えてみましょう。

特に、自分のように気の多い方。

例えば、広告面白そう!メディアにも興味あります!新しい働き方も実現されるべき!映画も好きです!人材面白そうですよね!….という方。(まさに自分)(博報堂の本とかで、関心のタグが多い個人と書かれてしまいそうですな)

何か見えてくると思います。(おそらく)(最後適当だなおい)

はーい。頑張って下さーい。疲れたのでさようなら!

就活のハナシ。

そう。解禁されましたね。

ファーストキャリアの選択。
大事なことだと思います。自分がこれから生きていく環境を決めるわけですから。

でも、定年までそこに安住するわけではないですよね。
そこまでして入りたいと思う企業があるのであれば、転職でもして入れば良いと思うんです。

そして、「内定をもらえない=失敗」は意味しないわけで、ただ単にそれは「自分とは合っていない」と企業側が判断した結果なわけです。
そう考えると、自分が入りたいと思う企業が、本当に自分と合う企業とは限りません。

こんなことを言うと、「じゃあ、内定がゼロだったらどうするんだ。」と言われます。

でも、自分の本当にやりたいことは、内定がなかったら、就職ができなかったら、出来なくなるわけではないですよね。
本当にやりたいと思うのであれば、大抵は就職しなくても出来ます。(不安定かつ、物凄く小さなところからスタートすることになりますが、それでもやりがいはあるはず。)

内定をもらって安心したいという気持ちは、かなりよく分かります。自分も思いますし。
ただ、内定を貰えないからと言って、その人自体が否定されているわけでも、その人が無能なわけでもないわけです。

クランボルツの計画的偶発性理論なんかも関わってくるかもしれないですね。
そもそも人生やキャリアは、自分の計画通りに進むものではありません。

「自分の価値を人に判断させたら大抵悪い方に向かうから、僕は試験とかコンペとか参加したことがない。審査員も全てお断りしている。人に理解されたら終わりなのである。落ちたら凹むのになぜ試験受けるのだろうか。人に判断させないことが一番。人は自分の理解の範疇の人しか合格させることができない

僕は大学生のときから言っていることは全く同じであるが、当時はみんなわらっていたし、先生からお前馬鹿じゃないかとしっかり言われてた。でも、人に理解されていないということは誰もやっていないし誰も気づきたくないことなのだからそのうちきっとと思ってた。将来が不安ということは未開拓な場所

すごい人はなんとか賞や面接を受ければいいのだ。どうせすぐ理解される。才能がないと思う人は人に判断させては駄目である。一人でやる。一人でも黙々、他人から見たら不安になるようなことをやっているというのが一番不気味なのだ。社会が動揺するのだ。それが個人の仕事なのだ。労働は試験から始まる。」

上記は、10月下旬の坂口恭平さんのつぶやき。少し通づるものがあるかもしれません。

就活をビジネスとしている企業は「周りと差をつける」であったり、「出遅れないために!」であったり、「成功するために!」であったりと…色々な言葉を使って、就活生を煽動します。
就活情報サイトには「チェックをつけた企業にまとめてエントリーする」なんて項目もあったりして。(どんだけだよ。とか思ったりします。)

ただ、就活のテクニックばかり磨いても意味が無いですよね。就活で生きていくわけではないので。

そうとは心のどこかで分かっていながらも、「やらない後悔よりもやる後悔」というあれなのか、12月で説明会まだ◯◯しか言ってないと焦る学生や、OB訪問できてないどうしようと言う学生もいます。
正解がないから安心もない分、不安で不安で堪らない就活生はどこまでものめり込んでしまいます。

じゃあ、何故不安になるのか。
それは恐らく、周りと比較しているからですよね。

これをこの期間にやっておけば安心だ。といった確立した方法論もない分、比較して周りを測りながら進めていきがちなのは当然だと思います。受験でもなんでもそうです。
でも、比較しても意味がないはず。比較でしか自分のアイデンティティを確立できないなんて悲しい。
そして、周りと比較して得られるものなんてたかが知れている。

そんな就活に対しても、「自分のやり方を貫いてみたらどうか。」と思うんです。

自分のやりたいようにやれば、成功しても失敗しても納得がいく上に、後悔はしないはず。そもそも成功、失敗を決めるのはその人自身であって、いくらやっても、いくら周りから褒められても、失敗と考える人もいます。

その上、自分のやりたいことを思いっきりやれている時間の充実感ってすごいですよね。

就活はしたくないと思う学生は別にそれも良いと思うんです。
就活以外の道もあります。

ただ、違う道に進む覚悟もないままに就活はしたくないと思うのであれば、それは間違いでしょうけど。

西村佳哲さんの「自分の仕事をつくる」という本には、

“ところで、私たちが会社から仕事を買っているとしたら、そこで支払っている対価はなんだろう。それは「時間」である。そして時間とは、私たちの「いのち」そのものである。”

という一節がありますが、本当にその通りだと思います。

これからの自分の働き方を考える事は、これからの自分の生き方を考えることでもある分、就活って、自分のこれからの働くを考えるには、絶好の機会でもあるんですよね。

だから、「周りがやっているから」とか、思わなくて良いんじゃないでしょうか。就活をどう進めていくかも、その人の生き方で変わってくるのでは?なんて思います。
それでやっていなかった学生は評価しないとかいう企業がもしあるのであれば(ないとは思いますが)、そんなとこには入らなくていいはずです。
色々と学生の行動をカウントしている企業があるとかないとか聞きますが、そういうのにはうんざりします。

自分のペースでやればいい。
自分がもっと知りたいと思う企業は知ろうとすればいいし、自分のことをもっと考えたければいくらでも考えられるはず。

「あいつ、◯◯なんだってー!すごいねー!」と、ネームバリューで人の”優秀”を測る声は多いです。
確かに優秀だと思います。なかなかもらえない内定を勝ち取ったのは、その人の良さが評価されているわけですから。
でも、ネームバリューのある企業に入らない学生も”優秀”であったりもします。

本当に大事なのは、周りに優秀だと思われる企業に入ることではなく、”自分の生き方に合った企業に入ること”と、自分は思っています。

でも、上記は自分が大事にしているだけであって、「自分にとって何が大事か」が人によって違うのに加え、正しい、間違っているの判断もその人自身にしかできないんですよね。
有名な外資コンサルにどうしても行きたいと思えば、その為に頑張れば良いし、名の知れたところの入りたいと思うのであれば、それはそれでいいんです。

しかし、就活に関する「成功」として各種メディアで述べられるのは、大抵が”有名企業への内定バナシ”。
結局、有名かそうではないかということは、指標として分かりやすいんですよね。
だから、それが罷り通っているし、先行してしまう。

いつまでたっても、この国は教育に関しても就職に関してもランキングから抜け出せないんです。
偏差値の高い大学にいけば、まわりから賛美され、名の通った有名な企業にいけば、その人も格も上がると。

就活の成功って一体なんでしょうか。
成功って人それぞれ違うものではないのでしょうか。

皆が一度くらいは名前を聞いた事があるであろう某有名企業の内定を蹴って、ベンチャー企業に就職する学生もいれば、大学入学当初から行きたいと言っていた有名広告会社に見事就職した学生もいる。ベンチャー企業でのアルバイトから、そのまま社員となった就活ゼロの学生もいます。

倍率やらランキングやらで、都合のいい尺度を見立てて人を測るな。と言いたくなります。

そう。つまりは、この一言を言いたかっただけ。笑