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「愚行録」に、物事の判断基準を揺さぶられる。

観てきました。いやぁ、ネタバレしないですけど、すごく色々と書きたくなるような。時間をかけて咀嚼したくなる作品だと思う。(ネタバレはないはず)(多分)

ストーリーは下記を参照。

閑静な住宅街で起こった一家惨殺事件。被害者・田向浩樹(小出恵介)は大手デベロッパーに勤めるエリートサリーマン。妻の友季恵(松本若菜)は物腰が柔らかく、近所からも慕われる上品な美人。ふたりは娘とよく買い物に出かけるなど、誰もが羨む仲睦まじい≪理想の家族≫として知られていたが、田向は1階で友季恵と娘は2階寝室で刺殺された姿で発見され、世間を騒然とさせた。未解決のまま一年が過ぎ、風化していく事件。週刊誌記者の田中(妻夫木聡)は改めて真相を探ろうと関係者の証言を追い始める。しかし、そこから浮かび上がってきたのは田向夫妻の外見からは想像もできない噂の数々だった-。

(ちなみに、殺人事件の85%は、被害者と加害者の間に事前の人間関係があり、動機のほとんどは金か愛か恨みらしいです。(まぁそれはそうか))

冒頭の妻夫木くんのシーンから一気に観客を不穏な空気に誘うのは、うまいなぁ、と思った。(しかし実は原作にはないシーンらしい)

しかし、結構先読みしてしまう部分も多く、本作最大の”愚行”も作品全体の3分の2くらいに差し掛かった時に、粗方予想はついてしまった感がある。

だから、ストーリーに期待して観すぎると、ちょっと拍子抜けしてしまう人も多いのかも。

ただ、登場人物が語るプチ愚行(最大の愚行と分けて)の数々が、生活の一部を覗いているようで、途中映画を観ていることを忘れるほど、自然に入り込める点はこの映画のすごいところ。

(その点、マドンナ夏原さんを演じた女優さんをよくキャスティングした!と思った。”どこにでもいそうだけどなかなかいない”という絶妙な美人具合)

また、この作品の面白みは、本作で描かれる愚行が、果たして本当に愚行なのかわからなくなる点だと思う。

主人公が各人にインタビューを重ねていき、それぞれの視点で事件の被害者となった夫婦に関する証言が語られる。見方、見え方により、自分にとって何が善く、何が悪いかの基準が段々と曖昧になっていく。

愚行は本当に愚行なのか。もがき苦しみつつ突き進んだ先の行動ではなかったのか。そもそも”愚か”という烙印は誰が決めるのか。

そんな問いに対して、自分は本作の犯人を悪者だとは思えなかったんですよね。周りの人間の方がよっぽど凶悪に思えて仕方がなかった。

そして、本作でインタビューを受ける側にいた登場人物誰しもが、他人の愚行に関して、冷ややかかつ饒舌に語る。それは実世界においても同じなんだなと。

普段は全くもって意識していなくとも、あなた自身、無意識に他人を分類分けし、傷つけ合っているんですよ。という事実を突き刺されているような感覚を持ちました。

その点、ああ、自分は物事の判断基準が揺さぶられる作品が好きなんだな、と気付く作品でしたね。(過去作を挙げても”ボーダーライン”しかり、”怒り”しかり)

また、ここまで演者の白目が濁って見える作品も少ないと思う。中でも、満島ひかりの笑うことのない目が、この作品を存分に引き立てていた。おぞましかった(褒め言葉)。

というか、演者がみな年齢不詳すぎてびびる。特に臼田あさ美とか。もう30歳なのに、大学生役もあんなにこなせちゃう女優ってすごい。というと、満島ひかりと中村倫也にも同じことが言える。

(というか、この作品は年齢不詳な役者を集めた感さえある)

最後に本作パンフレットに掲載の、妻夫木くんの「愚行」に対する考え方がよかったので、下記に引用。

– 本作を通して描かれている「愚行」とは何だと思いますか?
自分主体で生きていること自体が愚かといえば愚かですよね。でもだからこそ人間だということでもあると思います。何がよくて何が悪いかというのは自分自身で決めるものではないですし、愚かであることが悪いともいえないと思います。僕自身は、好きな人と一緒に食べるごはんはいつもより美味しく感じるとか、普段の行動の中でもちょっとした幸せを感じることがとても大事だと思うんです。ただ、それが当たり前になってしまうと人間にはどうしても慣れというものが生じるんですよね。すると頭がどんどんそれよりも上を求めてしまう。そうやって欲張りになって、愚かになっていく。だったら多くを知っているよりも知らない方が幸せなのかもしれません。

青いまま枯れてゆく あなたを好きなままで消えてゆく

観てきました。20代女性に大人気(?)のキュンキュン映画(?)「ぼくは明日、昨日の君とデートする」。

若干のネタバレをします。そして予告編を見る限り、ネタバレを肯定しているんだなこの作品は(すごい)(ここが他の恋愛キュンキュンものと一線を画している)。

ということであらすじは下記を参照。

京都の美大に通う20歳の学生・南山高寿(福士蒼汰)は、いつものように大学まで向かう 電車の中で出会った女性・福寿愛美(小松菜奈)を一目見た瞬間、恋に落ちた。 勇気を振り絞って声をかけ、「また会える?」と約束を取り付けたようとした高寿だったが、 それを聞いた彼女は、なぜか、突然涙してしまう―。彼女のこの時の涙の理由を知る由もない 高寿だったが、2人は意気投合し、その後、すぐに交際をスタート。 初めてのデート、初めて手をつなぎ、初めて名前で呼び合う。そんな初めてのことがあるたびに泣く 愛美のことを少し不思議に思いながらも、より愛美への愛情を深めていく高寿。 そんな二人の関係は、誰もがうらやむ程に順調で、すべてがうまくいくものだと信じていた…。 「わたし、あなたに隠していることがある…」初めてキスをした日、高寿は、愛美から想像も できなかった大きな秘密を明かされる…。そして、二人の運命は“すれ違い”始める―――。

何故観たのか、というとback number先生の主題歌が良すぎたから(劇場の音響で聴きたくなったんですよね)。ちなみに原作は未読。

そういった観点だと、ジョン・カーニー監督の「はじまりのうた」を思い出す。Maroon 5のライブのようなあの興奮と余韻。

わお!まさかの和製◯◯ジャ◯◯・◯◯ン!!!(思った人は多いはず)と思いきや、圧倒的な雰囲気力に終わってみたら、あれ、なんかよかったな…。といった感じ。(友人は君の名はっぽいと言ってた)(確かに時系列×キュンキュンという意味だと連想するかもね)

おそらく京都の素敵なロケーションと、主演2人の美男美女ぶり。そしてえみちゃんの優しさにやられた。とにかく雰囲気がとてつもなくいい。

この作品のすごいと思うところは、かなりの男性主観が入った恋愛もの割に、結果的に女性が涙する作品だということ。伏線の入れ方はちょっと煩雑かな、と思ったけど、展開の速さゆえ仕方ないのかもしれない。

小松菜奈ちゃんは、いつもいつもミステリアス路線をひた走ってるイメージだけど、今回はしっかりと優しい女の子役で、そんな姿を観れることに価値を感じる男性はいるのかもしれない(本当か?)。

真面目な役が多い東出くんは、あのくらいフランクで明るい役の方が似合うと思う。(普段もああであってほしいな)(誰目線)

また、福士くんはやはり静止画が一番イケメンだということを認識した。おそらくそのぎこちなさがこの作品にピッタリなんだろうけども(未読のため仮説でしかないけれど)。

しっかし、”ハッピーエンド”というタイトルと”青いまま枯れてゆく あなたを好きなままで消えてゆく”という歌詞を書いたback number先生には敬服しますね。流石。

(話は大きく変わり)

鑑賞後、友人(ダイエット中)が家系ラーメンの誘惑に負けそうになっていたところ、「おそらく明日は昨日が来るし、食べても太らないよ!大丈夫だよ!」っていう話になったのは結構ウケた。

積極的に使っていきたい(嘘)。

最近、手の甲に浮き出る血管フェチという人に多く出会う(気がする)

2016年公開の邦画「少女」。(映画予告編は下記参照)

本田翼×山本美月というダブルキャストが高校生を演じるという、いや、年齢的にきつくないか?って思いつつ、意外と観れてしまう作品。

原作はダークな作品に定評のある湊かなえさん作。(山本美月の方がタイプだけど、この作品だと俄然本田翼だよなー(どうでもいい))

まぁこの二人が同級生にいたら、それはそれはマドンナだよなぁ。映画的にはどうだったかというと、予告編のクオリティが高すぎ=期待値が高くなって拍子抜けしてしまうのでは?って感じでした。

女子高生のことが嫌いだった自分を思い出しつつ、15~18歳の少女の脆さと儚さが画面全体に現れていて、芸術作品として見応えがありましたが。

その劇中、幼少期の本田翼が祖母に手を棒で叩かれ、手がぱっくり割れてしまうシーンがあるんですよね。結構衝撃があるシーンで。

個人的に「2016年の映画でつい思い出してしまうシーンNo.1」だったりします。(手の甲の血管に触れるたびに思い出す)

そんなことを最近、手ないしは、手の甲から浮き出る血管が好きというフェチ所持者?にお会いすることが多くて、ふと思い出しました。

女性のフェチって面白いですよね。最近出会ったのは喉仏(動く瞬間がいいらしい)とか、耳の裏の匂い(嗅ぐシーン、おい)とか。まぁとはいえ男性の方がもっと変態的なフェチを持ってるものなのかな?

そういえば、浪人時代に仲のよかった友人のフェチが「女性の膝裏の折れて影になる部分」だったしな。(いやぁ、全く分かり合えなかったけれど。笑)

彼、元気にしてるかな。