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味覚と口コミを考える。

「居酒屋の予約よろしくね。なるべく不味いところがいいな」

ある朝、アルバイト先でこんな言葉を耳にしました。見ると、社長が経理部門の友人に対し、当然であるかのように言っています。今やほぼ全ての情報がユーザーによる口コミで評価される時代。飲食店はその代表格とも言えるでしょう。

なのに、どうしてわざわざ”不味い”店を探させるのか?自分は気になっていました。(予約くらい自分でやれよ。というツッコミはさておき。)

休憩時間、たまたまその友人とランチを食べることになり、今朝の社長の言葉について聞いてみたところ、社長は「今ではどこの店もサービスは一定以上。少しでも悪ければ苦情の嵐。どこもそれなりに美味しい。そんなチェーン店が蔓延している。だから、そういった居酒屋に入ると、”どこで何を食べて、何を思ったのか”を覚えていない。それはなんだか悲しい事だと思う」と言っていたそうで。個人的にかなり腑に落ちた考え方でした。

「要するに、何の情報もない商品、それについて語る内容の無い商品を出されることに反発しているのだ。飲んで噴き出すほどまずいウイスキーなんて出会わないほど、品質が揃った時代だからこそ、サービスをするというのなら、そこに何らかの情報がほしいのだ。人とひとの間に置けば、そこから会話がはじまるモノ、語るべき内容を持つモノこそ、今はご馳走なのである。」

有名なコピーライターである仲畑貴志氏は、著書「みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。(勝つ広告のぜんぶ)」の中でこう語っています。

人々の記憶に残るということは、実は想像している以上に大変なことなのかもしれません。記憶の定着は、送り手の意図によっては保障されず、いくら思い入れを込めて語ったとしても、それが相手の心に確実に残るとは限らないわけで。

とまぁ、ふと耳にした言葉が以前読んでいた本の一節とリンクして、こんなことを思ったんですが、それと同時に味覚と口コミの関係ってちょっと面白いな。と思いました。

そもそも”美味しい”、”不味い”を判断する味覚は人それぞれ違います。人の味覚の発達は10~15歳頃までには終わると言われ、それまでに自分が口にしてきたものや、食生活、養育環境が個人個人の味覚を形成するらしいです。

となると、口コミサイトでの高評価を追い求め続ける限り、自分の舌に本当にあった「これぞ!」という料理には永遠にありつけないのかもしれません。

確かに、口コミサイトで高評価の店の料理は美味しいですし、それぞれの店にこだわりがあり、提供する際にはその料理に対する自信が垣間見える程です。ただ、そうやって行列してまで皆が皆同じ店に通うということが、知らぬ間に味覚の画一化を促進しているとも言えると思います。

自分は、口コミサイトに恨みがあるわけでもなく、利用することが間違いだ!と言いたいわけでもありません。口コミは情報の王様と言われる程、信頼できる情報の宝庫だと思っています。

ただ、自分の記憶に強烈に残る料理は、それなりの評価を追い求めて食べ続けるだけでは、見つけられないのかもしれません。

じゃあどうすれば良いのか。

というハナシですが、たまには、口コミに頼らずに、ぶらりと店を探してみる。また、あえて低評価の店に出向いてみる。そんなゆるい外食をしてみるのはどうでしょうか。

自分の嗜好を知ることも出来ますし、記憶に残る良い機会になりそうな気がします。なんてことを思いつつ、ブログに書きつつ、やっぱり星の高い店には一度は行ってみたいな。って思うんですけどね。