月別アーカイブ: 2017年11月

最近よかったことば。

を、羅列します。

幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だったろう。(仏作家・シャルドネ)

経営から事務仕事のレベルの差こそあれ、会社というのはつまるところ、「同じことを繰り返すのが好きな人」と「同じことを繰り返すのが嫌いな人」のせめぎ合いでしかない。

ちょっとでも詳しいとすぐ「オタク」「マニア」って侮蔑の意味を込めて呼び始めた時点から理系の立場が崩壊し始めたのだろう。何故無知なほうが知っている側をバカにできるのかその精神構造がわからない

『pen』がブレードランナーきっかけでSFを特集してて、その中で書評家の大森望氏がSFの定義を解説してるんだけど、「現実的で論理的なのがミステリー、非現実的で論理的なのがSF、現実的で非論理的なのがホラー、非現実的で非論理的なのがファンタジー」とまとめられていて最高に腑に落ちた

私がこの世で一番好きな言葉は、高校生の時誰か知らない人が黒板に書き残した『バファリン工場爆発 半径3㎞にやさしさ飛び散る』っていう一文なんだけど、いまだにこのセンスを超えて琴線に触れるフレーズに会ったことがない

あと「我慢していたら褒められるしいつか解ってもらえる、我慢が認められて尊重してもらえる日が来る」って思うんだけど、それは全くの嘘で我慢する人には他人はどこまでも我慢を強いるし口先で褒められても尊重してもらえる日は決して来ないんだよね。

逃げるのは卑怯じゃない。作戦のうち。つまり逃げるのも、戦い方の一つだ。生きてさえいれば、いずれ仕返しができる。無駄に死ぬよりは、ずっと勇気がいる(スカル・ブレーカ – The Skull Breaker / 森博嗣)

殺人事件の被害に遭われた方のお顔、私は見たくないし、小学校の頃の文集も読みたくないし、昔の同級生の証言とかそういうのも一切要らないし、勿論そのご家族のお話も伺いたくないと思うし、伺うべきでない、我々の知る権利はそこまで及ばないと考えますけど、誰のためにこれらの情報があるんですか。

フランスの飯が高すぎるので「これだけで9ユーロだと!フランス人は大丈夫なのか!?」と思ってたけど対話の結果フランス人も孤独のグルメのDVDとか見て「あんなに食って4ユーロかそこらだと!それで日本の飲食店の従業員はちゃんとまともな給料を貰えているのか!?」と思ってることが分かった。

ばかみたいに本を読むのはどうしてかといえば、もうひとつの世界に行かなくては健康が害されるからである。私は物心つくかつかないかのころから、現実でないものを見るためだけに日ごと夜ごと本を読むくせを持った。まとまった時間などなくてもよい。あればもっとよいけれども、十分でも三分でもよい。向学心も向上心もない。読んだあとに役に立てようという気がない。本の中は現実でなければそれだけで価値があった。空想された物語がもっともよかったが、他者の人生であろうが、数字の並びであろうが、論述であろうが、現実でさえなければそれでよかった。

今は現実をそんなに嫌いではない。だいたい幸福だし、いい人生だと思う。いやなことはそんなにないし、あってもだいたい戦える。最悪でも逃げることはできる。それでも身についた癖は抜けない。現実がどれほど好ましいものであろうと、目の前の現実から遊離する行為を止めることができない。そういうふうにできあがって、たぶんもう直らない。

そんなだから、犯罪者についての本など読むと、まったく他人事ではないと思う。だいそれた犯罪者の幼少時代にはしばしば、「空想にふけっていた」「(異常なまでの)フィクション好きだった」といった記述がある。そんなの私じゃないかと思う。私が彼らでなかったのは単なる偶然にすぎないと思う。私に何らかの不幸な出会いがあったなら、私が暴力を比較的肯定される男児に生まれていたら、私がもう少し怒りというものを抑圧されていなければ、私は彼らになっていただろう。私がそうした何らかの要素によってフィクションに没入しきれず、そのためにダメージを癒やし足りなかったとしたら。

そう、私は彼我を隔てるものを、本質的には「じゅうぶん本を読むことができたか」の一点しかないと思う。じゅうぶんに現実の外に出て、その中で精神の体力をやしなうことができれば、人を殺さなくても済んだのではないかと思う。夜ごと現実の外に出て、本の中の、自分に熱心に語りかけてくれる何か、いつでも自分を待っていてくれる誰かと、古今東西の実に多様な他者と、話すことができたなら、人を殺さなくても生きていられたのではないかと思う。

どうしてもどうしてもさわりたくて、気が狂うほど、もういてもたってもいられなくて、彼女の手に触れることができたらもうなんでもする、神様。
そう思った。そう思ってした。自然も不自然もない。せざるをえない。思い出した。本当はそうだった。何となく気があるふたりがいて、何となく約束して、夜になって、食べて飲んで、どうする?となって、今日あたりいけるとお互いが暗黙の打ち合わせをしてる、というものではなかった、本当はただたださわりたくて、キスしたくて、抱きたくて、少しでも近くに行きたくてたまらなくて一方的にでもなんでも、涙がでるほどしたくて、今すぐ、その人とだけ、その人じゃなければ嫌だ。それが恋だった。思い出した。(吉本ばなな『とかげ』)

高校生以下で賢い子に私が言ってるのは、「評価者が君よりバカなことがある。その時はバカに合わせてやれ。君がバカを矯正してあげることにメリットはないから、相手から学ぶものが無さそうなら切り上げろ」ということ。この辺を割り切れないと賢い子が学校教育でバカになってしまう。

古代エジプト人「俺のわけわからん落書きめっちゃ考察されててわろた」( ピラミッド建設する際、内部通路つくるために電球が使われていた真実をどう説明すんの?:哲学ニュースnwk)

「働き方を変えるよりも、稼ぎ方を変えるべき」というのは、ものすごく同意する意見だなー。
「稼ぎ方」が本来先にあるんですよ。高収益な事業を回していれば、自然と働き方はホワイトになる。
働く側(労働者)ではなく、事業を舵取りする経営者側の問題なのです。(イケダハヤト)

「正しいことを言っている、やっているように見える人」っていうのは、逆に「正しくしなければならないという強迫観念みたいなものに追われている」ことが多い。(「ポンコツのほうが、やりやすいです」 – いつか電池がきれるまで)

「人が考えるべきことは、何をなすべきかではなく、自分が何であるかである」(マイスター・エックハルト)

「みんなが嫌いなものでも好きなら好きと言おう」というメッセージの曲はたくさんあるけど、「みんなが好きなものでも堂々と好きと言おう」という曲はほとんどないと思います。「みんなが好きだって言うから、嫌いになる」という人はとても多い。僕はそれをとても愚かなことだと思っています。(星野源『働く男』文春文庫 p172 『エピソード』日常 )

はやく偉い大人が、特に意味はないけどカッコいいと思ったからこのデザインしましたって言ってほしい。意図があっても説明しないでほしい。

金が必要なら職に就くものだと思っている。実際には、この伝統には100年程度の歴史しかない。それ以前には、生活のためのデフォルトの方法は、農業をすることだった。ほんの100年くらいしか歴史のないものを原理のように扱うのは間違っている。これは短期間で変わっていることなのだ。(Paul Graham)

ジョジョ読んでたら覗き込んできた父親が「それは『北斗の拳』の絵のパクりだな?」と得意げに言ってきて以来、独自性より類似性に気がいくのは無知の特徴じゃないかと思うようになった。(ダ・ダ・恐山)

染まり上がりを見た美容師のお兄さんが「またひとつ、可愛すぎる存在をこの世に作り出してしまった……」って言ってて、美容師ってすごいなと思った

「俺の頭が悪いんじゃなくて、お前の頭がいいんだよ。人を馬鹿にする前に、自分を褒めろよ。」

「ルールを増やす」ってのは管理方法の中では一番ダサい

アナ雪といえば、マツコデラックスが「あの映画って結局ありのままの自分じゃだめで、それをちゃんとコントロールして初めて幸せになれるって話なのに、皆ありのままの自分でいいのって思っちゃっててそれじゃダメだと思う」ってコメントしてて、アナ雪の評論として初めて首がもげるほど頷いた。

「俺は、何もプレッシャーなどかけていない」 「ムリな要求などしていない」 「勝手に、潰れていっただけだ」 「あの程度で潰れるのなら、どこに行っても同じだ」 などという発言が聞かれることが多いが、その発言自体が、リーダーシップの失敗を物語っている。(自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れを取る技術 / 下園 壮太)

何世紀もかけて科学技術を発達させてきたのに未だに週休2日で8時間労働とかギャグかと思う。

大音量で音楽鳴らして走っている車からいい曲を聴いたことがないように、声がデカいやつの意見にはロクな意見がない。

真実は常につぶやかれるものだ。

決して良い悪いという次元で考えてはいけない。つねに良いか、もっと良いかという次元で考えなさい。生とはその通りのものだ。(OSHO)

嵐の相場くんがインタビューで「アホなひとが好き」っていっててアホの定義を聞かれ「力の配分に損得がないこと」と答えていてあまりの的確さに感動をおぼえた

GET OUT

観てきました。巷で噂(?)のGET OUT。

制作費500万ドルで全米初登場1位。そして、アメリカの映画レビューサイトで99%の高評価を得た作品ですね。

あらすじは下記に。

ニューヨークに暮らすアフリカ系アメリカ人の写真家クリスは、ある週末に白人の彼女ローズの実家に招待される。若干の不安とは裏腹に、過剰なまでの歓迎を受けるものの、黒人の使用人がいることに妙な違和感を覚える。その夜、庭を猛スピードで走り去る管理人と窓ガラスに映る自分の姿をじっと見つめる家政婦を目撃し、動揺するクリス。翌日、亡くなったローズの祖父を讃えるパーティに多くの友人が集まるが、何故か白人ばかりで気が滅入ってしまう。そんななか、どこか古風な黒人の若者を発見し、思わず携帯で撮影すると、フラッシュが焚かれた瞬間、彼は鼻から血を流しながら急に豹変し、「出ていけ!」と襲い掛かってくる。“何かがおかしい”と感じたクリスは、ローズと一緒に実家から出ようするが・・・。

とてもよくできた作品だなーと。(にしても黒人の方って、本当に目が開くもんだな…)

観客に段々と違和感を植え付けていき、視点をずらし、実は・・・といった単なるホラーではなく、そこに黒人差別を掛け合わせたかと思いきや、クライマックスの畳みかけも凄まじい(思わず目をつむりたくなるほどに)。

また、ところどころのお笑い担当の入れ方もうまいんですよね。警官をしている友人しかり、主人公の恋人の弟くんしかり(どこかで見たと思ったらバリー・シールだった)

そして、なんといってもタイトルが秀逸。

“GET OUT”という二単語で表すことのできる意味合いが幾重にも重なっているんですね。(意味は下記を参照)

get out
[《 自動詞+ 副詞》 [W16-A341] óut]
(1) (外へ)出る; 外出する; (立ち)去る.
Get out! 出ていけ; 《俗語》 ばかな.
(2) (乗り物を)降りる.
get out at 32nd Street 32番通りで降りる.
(3) 逃げ出す.
(4) 〈秘密などが〉漏れる, 知れてしまう.
The secret got out at last. その秘密はとうとう漏れてしまった.
[《 自動詞+前置詞》 [W16-A341] óut…]
(5) 〈ドア・窓など〉から出る.
[《 他動詞+ 副詞》 [W16-A341] óut]
(6) 〈…を〉(外へ)出す, 取り出す; 〈栓・とげ・歯・しみなどを〉抜き取る.
Get out your books and turn to page ten. 本を出して 10 ページを開けなさい.
(7) 〈人を〉助け出す, 助けて逃がす.
(8) (図書館などから)〈本を〉借り出す.
(9) 〈預金などを〉引き出す.
(10) 〈本・新聞などを〉出版[発行]する.
(11) 〈…を〉生産する.
(12) 〈言葉を〉(やっと)発する, 言う.
(13) [get+目+out] 〈問題などの〉答えを引き出す, 〈問題を〉うまく解く.
[《 他動詞+前置詞》 [W16-A341]…òut…]
(14) 〈…を〉〈ドア・窓など〉から出す.

と、ネタバレをしないようにいろいろと書くつもりだったんですが、下記のブログの伏線回収具合がちょっと羨ましいほどにすごくて、(いい意味で)書く気が失せたので、ご紹介しておきます。(ほんとすごい)(冒頭の警官ネタと、帽子ネタは気付いた)

https://www.club-typhoon.com/archives/18823993.html

こちらのブログに付け足すことが唯一あるとするならば、ジョージナに「チクる」というスラングが伝わらなかったという点くらいですかね。(どうしてか?はネタバレなのでここでは割愛)

もともとは絶望的なエンディングだった本作。映画版に変更した理由も興味深かったので、最後に引用しておきます。

「この脚本を書き始めたのはオバマ大統領の時代だ。黒人の大統領が選ばれたことで「人種差別は終わった」と言われていたが、そんなのはうそだ。この映画は表からは見えない奥深いところで煮えたぎっている差別意識を暴こうとした。だから悲惨な結末で世界にパンチを入れたかった。これが現実だから」
 しかし「ゲットアウト」の編集段階で、差別は表面に現れた。白人警官が丸腰の黒人を殺害する事件が全米各地で頻発し、しかも警官たちは起訴すらされなかった。さらに人種差別を公言するドナルド・トランプが大統領に選ばれた。当初の絶望的なエンディングは現実そのものになってしまったのだ。
 「だから僕は結末を撮り直した。人々は映画の中くらい、救いとヒーローが必要だから」(本作DVDより)

監督の英断にあっぱれですね。

表情って それだけでギフトだ

表情って それだけでギフトだ

というコピー、そして、その着眼点素敵だなーと。(出演する女優陣がこれまた豪華なこと)

その名も「資生堂 表情プロジェクト」。

表情豊かに生活してる人って、”美”ですよね、と。

しかしながら、意思とは反して増え邪魔をする(特に)女性の難敵である、”しわ”。

そんな中、そもそも表情って?しわって?といった根本に立ち返り、自社商品をやわらかくPRするものだそう。(と認識した)

生き方、想い、愛。
「表情」は、内なる輝きがあふれ出る、
何よりも美しいものです。
しかし大人になるにつれ、いつしか本来の
自由な表情をためらうことが増えていく。
その理由のひとつに、表情と「しわ」の
関わりがあると、資生堂は考えました。
しわは決して悪いものではない。
でも豊かな表情をしばりつけているのなら
なんとかしたい。
その想いを胸に2017年、資生堂は有効成分・
純粋レチノールにより、「しわを改善する」
効能効果の承認を、日本で初めて取得しました。
思いきり笑った顔はもちろん、
感動の涙を流す顔も、
愛情を持ってきちんと怒る顔も。
日常の些細なことにさえ、
素直に驚く、真剣に悩む、夢中でのめり込む。
そのすべての表情は愛にあふれています。
だからそれは、まわりの人との関係を
より素敵なものにできる、
世の中全体まで明るくできる。
表情の持つそんな大きな力を、
「しわを改善する」という
新しい価値のあるスキンケア商品を
さまざまなブランドから
送り出すことで応援していく。
(表情プロジェクトとは)

しわは人生の積み重ね。だと思っているので、それ自体を肯定して生きていく、つまりは年齢を理解し、受け止めた上でしっかりと人生を歩む=美だと思っている派ではあるんですが、(お前は男だし若いからだと言われそう)

やはり人間、特に女性である以上は、美しくなりたいという欲求があるもの(だろうし)、改善(小さなものも含め)で人生が豊かになる、そのキッカケとなる自信が持てるっていいですよね。

(とはいえ、こういう人生歩みませんか?こういうの憧れますよね?という世の基準を半ばラグジュアリーに訴えかけて、経済を回そうとするマスメディアが、ほとほと嫌い)

という話はさておき、(なかなかに脱線しましたが、)表情を”ギフト”と捉えたのは、とっても素敵だな、と思いました。

プレゼントの胸が高鳴るシーンにおいて、果たして贈り物をする意味とは?を考えた結果、導かれたものなのかな。

タイトルコピーの全文は下記の通り。プロジェクトのPRコンセプト自体、クリスマスと掛けてるんですね。お見事。

今年も、特別な季節がやってきた。調べて、
悩んで、吟味して。私たちはどうして、
プレゼントを贈り合うのだろう。それは
きっと、大切な人が喜んでくれる、その
表情をもらうためなんだと思うのです。

表情って それだけでギフトだ